自然主義的態度と自然的態度

 『確かに一つの「われ」―何事においても「偏らず(indifferent)」に行動し、純粋な「認識者(connaisseur)」となって、すべての事象を残りなく捉え、自らの前にくりひろげ「客観化」して知的に所有する「われ」―というものは存在するであろう。…それは自然科学なのであり、またもっと突っ込んで言えば、自然科学がそこから生まれてきたようなある種の哲学、つまり、純粋な「われ」とその相関者(son correlatif)である《むき出しの事象=単にものそれ自体であるもの(choses simplement choses)》に逆戻りしようとしていたような哲学なのである。』(M.Merleau-Ponty, "SIGNES", pp.205-6 引用においてアクサン記号は略)


 これが自然主義的態度(l'attitude naturalist)であり、『自然的態度(l'attitude naturelle)は少しも自然主義的ではない』(ibid. p.206)。


 自然的態度は『われわれに世界の表象をではなく世界そのものを与えてくれるような原初的信念ないし根源的臆見の秘儀である』(ibid. p.207)。