報道の自由

 日本のメディアを「指導」しない日本政府に対する中国側の批判などは諸方で大いに話題になりましたが、さすがにメディアでも少々中国はおかしいのではないかという記事も出てきました。
 <中国>報道局長、日本メディアの報道を批判

 【北京・飯田和郎】中国外務省の孔泉報道局長は10日の定例会見で、日本メディアの報道について「中日関係上の摩擦や問題を熱心に報じ、歴史問題など重大な原則的な問題では中国を含むアジア人民の感情を傷つける報道を繰り返している」と批判した。
 政府がメディアを監督・規制する中国と異なり、日本では「報道の自由」が憲法で保障されていることへの認識の低さが改めて浮き彫りになった。
 孔局長は、昨年4月の日中首脳会談で胡錦濤国家主席が明らかにした日中関係に関する5項目提案について王毅駐日大使が「日本での報道がとても少なかった」と指摘したことを例に挙げ、メディアの役割は「両国国民の相互理解、相互信頼を増進させることだ」と語った。
 北京で9日開かれた日中外務省間の協議では崔天凱アジア局長が「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書く。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と要求。佐々江賢一郎アジア大洋州局長は「それは無理だ」と説明したという。
毎日新聞) - 1月10日21時38分更新


 しかし日本国憲法の条文に「報道の自由」という文言はないわけでして、通常憲法第21条の[集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]を引き合いに出して「報道の自由」が言われています。

 第二一条 
   集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 
 2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない 

 「言論、出版」という言い方、および検閲の禁止は、憲法制定時においてメディア保護というニュアンスを含んでいたと想像させるものはありますが、字義通りにはこれは「表現の自由」でしかありませんから「メディアによる報道」というものを特別扱いすべき規定とは言い切れないと思います。


 たとえばネットにおけるブログや日記、サイトでの表現の自由が守られているのと同じレベルで「報道」というものが守られていると、そう私などには見えます。何もメディアが特権的に憲法によって守られているわけではない…そういう認識を持っていただきたいものだということです。
 「報道の自由」なる言葉を振りかざすメディアは、どこか自分たちは違うのだという意識があるようで嫌いです。せめてそう思いたいのなら、一般の人を信服させるだけの行為で身を慎み、倫理的に配慮しているというところをきちんと見せていただきたいものです。


 中国側の意見がお笑い種であることは論を俟ちません。メディアの役割というものは「両国国民の相互理解、相互信頼を増進させること」にあるわけではありませんし、百歩譲ってその言い分を認めたとしても、きちんとした情報の上にこそ相互理解が築かれるべきなのであって、嘘を言えとは強制できませんから…。
 それにしても「報道の自由」って誰がいつ頃から言い始めたものなのでしょうね。