一言

 余丁町散人こと橋本尚幸氏のブログ記事につきましては、以前からfinalventさんの日記でしばしば触れられており、その絡みでたまに読ませていただいておりました。実際文章は軽妙で面白い記事も多いのですが、いかんせん極論というか偏ったご意見も多く(それを楽しめればよいのですが)私には少々胃にもたれがちだなと感じられていました。
 

 とりわけ農業問題(Letter from Yochomachi > 農業問題)あたりの読みと意見がちょっと…という気もいたしましたが、この色はレビュー(Letter from Yochomachi > TV, Cinema & Books )の分類のあたりでも頻繁に出てくるものです。


 ほんの少し抜粋して引用させていただきますと
 東京12ch:田舎に第二の人生を、というのは超クサイ!

都市住民はいい加減に田舎に対する憧れをやめた方がいいと思う。そういう憧れは所詮「負け犬根性」である。大都市こそ、自由に気兼ねなく人間的に生きることが出来るという意味で、引退世代が余生を送るに適切な場所。それが分かっているからこそ、多少地価が高くとも、年寄りがこぞって大都市に移り住むという現在の風潮が続いている。これは実に合理的なものなのである。


 12ch「田舎で泊まろう」……棚田を耕作してこれだけリッチ。考えさせられるな〜

老女一人でこれだけ頑張った彼女はエライ。これについては、なんにも言わない。でも、日本でも一番生産性の悪そうな農地を、女性一人で耕しながら、田園調布並みの豪邸を建てうるということに、日本の農政の矛盾を感じざるを得なかった……といえば、いくら大金を投じても棚田ですら農地を買うことが制度上で出来ない都会人の嫉妬となるか。農地を買えさえすれば、完全に国際競争から保護されて豪邸が建てられるほど儲かるのにね〜。


 12ch「憧れのリゾート暮らし」……はっきり言って、ぼられすぎだな

都市住民は、もういい加減に「ぼられる」のはやめにした方がいいのではないか。そうでなくとも、日々の生活において高い食品価格を通じて田舎ものに存分にぼられているのだから、更にリゾート購入で田舎の地主を儲けさせることもないと思うのだが、都市住民はなかなか懲りないようだ。


 12ch「全国ここが自慢の大御殿」……地方は豊かだな〜、嫉妬しちゃう!

都市部で成金豪邸生活を送る人達は、立派だとは認めるけれど、はっきりいって余裕のない背伸び生活。こっちの方が見ていて心配になってしまった。でも、そう言うもんだと思う。人生そんなに甘くはないのだ。
それに反して、地方で豪邸生活を送る人達は、まさしく特権階級。なんの不安もなく、心配もなく、表面的はもちろん、実質的にも優雅に生活をエンジョイされている。同じ番組で紹介されていた都市部のお金持ちとは決定的に質がちがうのである。これまさしく日本の貴族階級だ。



日本林業の低生産性は目に余るものがある。それは周知の事実。日本のコメ農業についても然り。ほとんど世界一と言っていいほどの低生産性だ。



いまこの山林大地主の生活スタイルと、現代日本林業の低生産性を考えあわせると、農地解放だけが農村停滞の原因ではないというように思ってしまう。要は、規模だけの問題ではなく、こういう人達の生活をまず第一に守るため地方に利益誘導するのだという戦後の保守政治の体質に問題があったのではないか。


農林水産業の近代化は、技術的な問題と言うよりは、政治的問題であるように思う。「日本国民のための農業をいかに発展させるのか」と考えるのか「いまいる農民の生活水準をいかに維持するのか」を考えるのか、どっちが大切か、いまそれが問われている。


 和歌山県本宮町では、一日に二人の客しかない散髪屋が、豪邸を建てている!

今晩のNHK「家族に乾杯」。和歌山県熊野を訪れた、鶴瓶宮本亜門田圃の真ん中にある今風の新築ぴかぴかの理髪店に驚いた亜門が、理髪店の肥った店主に料金を聞くと、3800円也と。お客の数はと聞くと、一日二人程度という。これで家を新築できる。これこそ、今の日本の農村優先政治の縮図だ。


 まあこういうのが多いので、逆にそれで多くの読者を惹きつける(=釣り)のかもしれないなあと思ってはおりました。今回の記事ではさらに注目度を上げましたね(おそらく。羨ましくないですけど 笑)。
 南方へ人が動くことを問題視していた下記の記事では、寒冷地への居住を勧めていたようにも思えるので、結局やはり確信犯なのかなとも思います。
 NHK:沖縄に移住する「今どきの若者」……でも、暑いんじゃないか?

NHKの特集。敢えてピントはずれなコメントを書く。脱サラして沖縄に移住した若者の生き方を「いい」と思う視聴者が過半数を超えた。脱サラするのは、とても結構。でも、敢えて過酷な炎熱気候の場所に敢えて移住するのは、どうなんだろう?



地球温暖化は、否応なく進行している。夏に暑いところは、ますます暑くなる。居住地の選択は、この地球温暖化現象を十分に配慮したものであるべきだと思う。はっきり言って、現在の温暖な気候とされているところは、21世に中半以降、とても人は住めなくなる過酷な炎熱の気候になる可能性があるのではないか。

具体的に、どういう場所が地球温暖化で人が住めないまでに炎熱化するかと言えば、はやり熱帯作物であるコメが栽培されている場所だろう。コメが育たない、山中湖のような寒冷気候の場所こそ、人が住む場所となるのかも知れない……と地元自慢。


 さて、敢えて釣られるつもりで最後に一つこの記事を引用させていただきましょう。
 NHKクローズアップ現代「仕事がない地方の若者」

地方での若者の就職がたいへんだとのセンセーショナルでPC丸出しのNHK報道。う〜ん、そうかな。「農村ウヨク」たちの集中個人攻撃を覚悟して言えば、そんなことは当たり前だ。いままで経済合理性に反する形で政治的に不自然な状態がつくり出されていたことこそが問題なのである。


都市部では人が足らないのである。例えば東京都だが、下の数字を見ればいい:
東京の雇用情勢
どうして、地方の若者は都会に職を求めないのか。今まで誰もがそうしてきた(散人もそうだ)。いまの若者はそんなガッツもなくしてしまったのか?

農村既得権者たちは、全国土での均衡のとれた発展のために地方に公共事業と補助金を出せと言う。田中角栄の亡霊をまだ信じている。ある程度は仕方がない。でも日本はその「程度」が異常だ。この日経記事を見よ↓
「世界の国々と比べると、国土のいたるところに人が住む日本は異例だ」(日経新聞)


このままでは、日本は地方に大量の「ニート」と「引きこもり」をつくり続けるだろう。それが地方で目立ってきた奇怪な犯罪にもつながっている(と思う)。
若者の流動化こそがいま求められていることではないか?


 現在、過疎地のみならず地方都市の困窮などもよく話題に上ります。結局は、都市の労働を支えるための人口の移動が、現状を生み出したのだと私は考えております。いえ都市を非難するとか、都会へ出た人々の責任を問おうとか思っているのではありません。ただある面、中央−地方問題は「自分たちの判断が招いたもの」という認識を、多くの方々に持っていただきたいとは考えます。地方の衰退をもって政府の無策を責めるというのは、必要な政策を何か引き出すためには大事かもしれませんが、何かそこに無責任な感じはありますね。
 多くの人々は「自分の意志で」地方を離れ都会へ出ました。それが都会の興隆と地方の衰退を招いたとすれば、それは一人一人の選択の集積の結果であって、誰を責めるということはできないんじゃないかと思うんです。上の記事の「ガッツある若者」に悪意はなかったでしょう。でもそのかつての「ガッツある若者」に言いたいのは、地方の衰退は「自然現象」ではなく、あなたたちの選択の結果なんだということですね。橋本氏なんかはそこがどうもわかってないように思えます。


 今後、高齢化に悩む過疎の町村で、いくらでも廃村ということは起きてくるはずです。無住の地も増えるでしょう。それは悲しく思われますが、基本的にはそれは「そこに住んでいた(そして出て行った)」人の選択の結果ですから、あきらめもつくはずです。逆に言うとそれについて他所からどうのこうの言うのはやめた方がいいでしょう。
 自分の方の都合で、そういう町村に住む人たちに移れとか移るなとか言わないのがまっとうなのだと思います。せめてそれぐらいのことはわかってほしいものだと、そう思いました。