食あれこれ
Der Mensch was ist er iβt.
(人間はその食べるところのものである −フォイエルバッハ−)
これは日本でなら親父ギャグと言われる類の洒落かもしれません。最後の言葉が「食べる(iβt)」と「である(ist)」の語呂合わせで、「人間はそのあるがままのものである」という言い方を一文字換えるだけで、食が人の本質を為すという言葉になっています。
欧米で好んで牛肉が食べられるのには文化的背景があるとも言われます。
今日イギリスではコールド・ビーフが、アメリカ合州国ではビーフ・ステーキが国民食として愛好されているが、これも雄々しいオウシを食べると立派な紳士ができるという体液生理説―古代の一種の共感呪術の名残り―からきたものにほかならない。
(山内昶『「食」の歴史人類学 比較文化論の地平』人文書院、1994)
言ってみれば、米国産牛肉の輸入問題には密かに文化接触の側面もあるということですね。もちろんそれはまず商売−貿易でもありましょうが、「牛肉を忌避する」ことができる文化は欧米の文化にとって相当に異質に見えるのかもしれません。
明治に入り文明開化の象徴のようにして「牛」が食されるようになったのは、まさに的確に欧米の文化の受容であったといえましょう。
私たちが普通に食材としている野菜類でも、その多くは外来種であったりします。最初に私が聞いて驚いたのは、白菜が明治以降に初めて日本にやってきたものであるということでした(日清・日露の戦役で大陸で味を覚えた人たちが持ち込んだ)。イメージの中では洋食の付け合せによく用いられるキャベツは洋野菜、鍋物に欠かせない白菜は和野菜だったのですが…。
サツマイモとカボチャはアメリカ大陸原産で、江戸期に日本に入っています。ニンジンの原産地はヨーロッパから小アジア、北アフリカのあたりで、日本には室町時代に渡ってきました。ジャガイモはアンデス原産。これがジャカルタ(ジャガタラ)を経由して慶長三年に長崎に渡来したのでジャガイモと呼ばれるというのは有名な話です。また牛蒡ですら『延喜式』には食用作物としての記述がなく、平安末以降に渡来したものらしいということです。
そら豆はアフリカ北部原産。玉ねぎは中央アジア。かぶは原産地がアフガニスタンとも地中海沿岸ヨーロッパとも言われ、日本には弥生時代から入っていたとのこと。きゅうりの原産地はインドヒマラヤ山麓で、6世紀頃の渡来。ナスもまたインド東部の原産です。ねぎの原産はシナ。大根も古代エジプトで栽培の記録があります。レンコンもまた大陸から入ってきたものですし、地中海沿岸が原産の春菊は室町時代にやってきました。
たとえいずれからやってきたものであれ、日本の食文化はそれを受容し変化してきました。これからもまた変わりつづけていくでしょう。でもそれを決めるのはこの国に住む私たちです。
あれを食うなとかこれを食えという言葉に、内容はともかく反発を感じてしまうというのは、これが「文化」というものだからでしょうね。