論争について(独り言)

 そしてさらに牽強付会に言葉を続けますと、愛・蔵太さんとtraviesoさん、さらにはuki_gumoさんを絡めた一連の論争で、結局話が収束していかなかったのには不満が残るところです。私は共通の何かを生むこともできたんじゃないかと思いました。


 どなたかがこのやり取りを「結局、誰でも偏見を持っているということ」みたいにまとめられていたのですが、それではあまりにも実りがない結論です。
 確かに私たちは不偏不党で語ることが困難ではあります。しかし求められているのは「全くのニュートラルな立場からの意見」なのでしょうか? 私はそうは思いませんし、そういうブログばかりになったら面白くないので読むのをやめてしまうでしょう。


 偏り自体は(メディアのように中立不偏を標榜しない限り)問題ではないと思っています。ただ一点、資料の扱い方とか、推論の立て方、結論の導き方などの「手段」の部分でのバイアスは、大いに問題視されるべきとは考えています。
 ですから今回のやり取りでは、各々のバイアスが問題なのではなくて、そういう偏りを超えたところで何か「資料批判」とかその「扱い方」「結論の出し方」で、一致点がでないかなと期待したのです。それができそうな方々のやり取りでしたから…。


 これはちょうど、多様な言語(リテラシー)の共存と一つのニューメラシーの共通認識という構図になぞらえることができる、そういう共通のものが収束点として欲しかったのだと、後付ですがそう思いました。