春一番

 昨日は関東で春一番が吹いたそうですが、春一番キャンディーズと連想して「春一番が〜♪」と歌ってしまうのは罠。それは「微笑がえし」(笑)。

 雪が溶けて 川になって
 流れてゆきます


 つくしの子が 恥ずかしげに
 顔を出します


 もうすぐ春ですねぇ
 恋をしてみませんか
(『春一番』作詞作曲 穂口雄右

 私もこの週末に空き地でつくしの芽を今年初めて見て、春が近いことを実感したのですが、つくしといえば「つくしのおひたし」を思い出します。何年かバイトをしていた喫茶店のママさんにいただいたものでした。それまでつくしが食べられるなんて意識していなかった私ですが、はかまをとりのぞいたつくしは意外に食べられるものでした。結構ママさんには良くしていただき、お惣菜などおすそ分けしてもらったのでありがたかったです。


 そのママさんは今の私より若かったのですが、当時の私には「おばちゃん」にしか見えず(笑)それでもその後結婚されて、今はお二人のお子さんのお母さんです。
 その方は在日韓国人二世の方でもありました。とはいえそれを意識する/させることはほとんどなく、別に特別な秘密というわけでもなく、私にとって彼女はただの親しい「関西のおばちゃん」だったのです。もちろんいい意味で(笑)


 在日二世、三世の知人はママさんを別格にしてもそれなりにいて、関東に越して来てからはむしろニューカマーの韓国人の知り合い(主に留学生)が増えました。
 その頃からいろいろ日韓の関係について考えはじめた私は、今までの日韓関係がおかしかった(加害者−被害者という構図を引きずり過ぎた)と思うようになり、それを友人・知人の韓国人にも言いましたし、ネットでもそれなりに話をしようとしました。
 ただそういった発言をしていて、よく「嫌韓(厨)」と言われたものです。韓国の国としての態度やそれに対する日本の態度、双方のメディアの態度、そしてそういうものを受けた人々の態度で、おかしいと思ったものにははっきりおかしいと言っただけなのに、ラベリングをされると話は半分も聞いてもらえません。とても残念でした。悲しくもなり怒ったりもしました。もちろんこれは擁韓と決め付けられた人の方にもあてはまったことだったでしょう。


 おそらく町山さんが「朝鮮人虐殺」を持ち出したときに、その言葉だけでカチンと反応してしまった人たちがいるのだと思います。また同様にfinalventさんが「山本七平」「通州事件」と言ったときに、その言葉だけでカチンと来てしまった人たちもいるように見えます。
 それらはある意味センシティブな言葉ではありますが、それに惑わされてそこに妙な党派性、二項対立の図式を持ってくる(読み取る)のはいかにもナイーブ。冷静になってみれば、それはかなりの方々におわかりになることだと思います。


 議論の焦点を捉えなおすことが必要ですし、その意味でBigBangさんが書かれた「finalvent氏を支持する(2)------無限の虐殺のリプレイス」という記事を、今朝はとても興味深く読ませていただきました。(未読の方はどうぞ)

角の小池さんにお嫁さんが来て
挨拶まわりでうちにもやってきた


つまらないものですけど受け取ってください
つまらないものでは受け取れません


その日小池さんは笑っていたけど、
次の日ゴミ置き場を見て泣いていた
(『春二番』作詞作曲 所ジョージ