新人類

 私は「新人類(Wiki)」でした(笑)もうほとんど死語なわけですが、80年代前半に成人した人たちって皆40を過ぎてるんですよね。
 若く見られるというのは本当(まじ)なんですけど、若く見られて嬉しいのは歳をくった証拠とも言いますからね。ちょっと…。


 人類進化テーマはSFでも相当書かれて来ています。「新人類」という言い方でもいくつもあったと思います。たとえば小松左京『継ぐのは誰か?』とかもそうですね。この本は推理小説仕立て(予告殺人・ダイイングメッセージなど)を加味したSFで、人類のあるステージでの哲学と進化の可能性を語ったものでした。ここで出てくる新人類は「大脳前頭葉に発達させた生体電波通信器官」で電波を操る連中でしたが、このモチーフもその後結構生き延びてますね。まあ「電波な人」のはしりといったところでしょうか。
 新人類、ニュータイプとくるとヴァン・ヴォークト『スラン』ですね。ここの新人類はミューテイションした超能力者っぽいですが、この作品竹宮恵子『地球(テラ)へ』の原案といった方が私たちの世代には通りがよいかもしれません。私も『地球へ』の後に読みましたから。
 突然変異カテゴリーだったらウィルマー・シラス『アトムの子ら』とか。山下達郎絡みではなく(笑)このアトムはロボットじゃなくて「原子力」の方で、原子力研究所の事故で放射能を浴びて…というパターンの方です。この作品の風味はゼナ・ヘンダースン『果てしなき旅路』、ピープルシリーズと似ています。ただピープルの方は異星からきた同胞の血に受け継がれる〈能力〉の話ですから、進化テーマから外れますけど。


 進化テーマに戻りますと、オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』なんかは古典ですね。まあこれはSFとして書かれたものではなく、どちらかというと人類社会の諷刺ですね。そのために旧弊から距離を置いた新人類が描かれています。見つけられた新人類が旧人類に迫害されて一旦滅ぼされるというテーマでもこれは嚆矢なんじゃないでしょうか。SF的な書き方で人間性の諷刺となるものはかつて多くありました。ヴェルコール『人獣裁判』でも、虐げられる少数民族というテーマ(作者の頭の中にはユダヤ人迫害があったとされています)、そして「人間とは何か」という問いかけですね。こういう哲学的問いがSFジャンルを深めていったと考えています。


 アーサー・C・クラーク幼年期の終り2001年宇宙の旅など人類進化テーマで書いていると言えますね。『都市と星』の「ユニーク」も一種の新人類かな。
 ちょっと変り種で言いますと、クリフォード・D・シマック『都市』ですね。これは人類の発展と滅亡(というか地球からの移住)、そしてその後の「進化した犬」の世界がオムニバスに描かれ、新人類?が犬なわけですが、これも諷刺が効いてると思います。


 とりあえず新人類という語で思いついたSFを並べてみました(まだまだ全然ですが)。まあこういうのに比べれば、いかに当時の「新人類」という流行語が軽いものだったかということがわかるというものです。