学生と教師

 今日実は同志社山田礼子氏のお話を聞く機会があったのですが、氏は一年次教育(first year education)(もしくは導入教育)に関して先駆的なお仕事をなさっている方で、お話もそれにまつわるものでした。
 導入教育はアメリカではリメディアルという側面で主に語られるものだが、日本ではむしろモチベーションを高める方向で考えた方がよいのではないか、という主旨のことが語られました。 いろいろ伺った中で一つだけ挙げますと、学生は教師との紐帯をモチベーションにすることもあり、その手がかりを探しているときもあるというお話しがありました。
 これは私も少々思い当たるものです。大勢の中の一人の時と、何人かの教員と顔と名前を覚えていただくぐらいになった後では、自分の授業への意識とかやる気に差が出た記憶があります。ゼミ形式の授業はあまりなかったのですが、友人のつてで(特に専門とはあまり関係ない諸氏と)何度か会ったり話したりということが、何気なくやる気を起させてくれたように振り返って思います。


 とはいえそこで「セクハラ」ですよ。
 おそらく教員側の行動も(人によるでしょうが)セーブされたものになっていると思います。うまいやり方が探されねばならないでしょう。単に飲み会とかでしたら、機会が増えるだけ微妙に「セクハラ」とされるようなことが多くなるでしょうし、それは学生にも教員にも得ではないと思います。


 どこぞの学校で、担任につく先生は既婚者であると父兄にPRしているという話も耳にしましたが、既婚者が不祥事を起さないという道理はありません。結婚してようがしていまいが起す人は起すもの。まあ「わかりやすい」アピールでもありましょうが、それどこか違うと思ってしまいます。
 どういう方法がいいのでしょう。寂しい学生と寂しい教員のマッチング?のためのうまい方法はないものでしょうか…