今朝の読みモノ

 今朝はアンテナやいくつかのRSSリーダーで、読み応えのある記事が多いような気がしました。自分の意欲が今ひとつの時など、こういうものをいろいろ読ませていただけると「自分も考えて発言したい」という気になってくるものです。ただ、あまりにいい記事だと、自分は書かなくても…という気にもなってしまう諸刃の剣(笑)

plummetさん@世界の中心で左右をヲチするノケモノ

[ジャーナル][観察記]懐疑と信頼の分水嶺はどこなのか 五日付の読売夕刊、一面コラムの文章が印象に残った。
 自分の中で漠然とあったものが、この記事で何となく形になってきます。少しやられた感あり。

 すべてを疑う。すべてを信じる。どちらも都合のよい解決法であると、数学者ポアンカレが「科学と仮説」(岩波文庫)に書いている。
「どちらでも我々は反省しないですむからである」と

lovelovedogさん@愛・蔵太のきままな日記

[メモ]いわゆる「ポジショントーク」の是非について
 党派的云々と自分が考えてきたことに、一つ新しい視点が得られたかもしれません。

名塚元哉さん@あんた何様?日記

「発狂!パワフルプロ市民!2006開幕編」
 夕べ見た『その時歴史が動いたNHK)』白洲次郎氏の話について書かれています。よくNHKがこういう裏歴史っぽいところを題材にするものだと感心しました。私は北康利『白洲次郎 占領を背負った男』講談社、一冊しか読んでおりませんが、これは無類に面白い本でした。読後に母に贈って、母にも好評を得ました。
 少なくとも憲法に関するGHQの介入について、高校までの授業では一切教えてはいませんでしたから…。


 まだまだ面白い記事は多かったのですが、これらの記事が私の今朝の一押しというところでした。感謝です。

finalventさん@極東ブログ

[書評]人生ごめんなさい(半村良)

 たとえば極悪非道、冷酷無惨な奴が通り魔的に君の家を襲って、兄弟や母親を殺し始めた時、君は相手を殺さずに済むでしょうか。さらにその考えを拡大して、おし進めていくと戦争に突き当たります。つまり殺人というのは、自分や自分たちを守るための防衛行為なのです。だからその集団の外にある人を殺した場合、罪にならないのです。これが戦争でしょう。


 ただしその場合に自分たちと同じグループか、あるいは殺してもいい他のグループか、という判断を自分で出さなくてはいけません。その判断は、人生の中での理性や教養から培われてくるものです。その認識いかんで、卑劣な犯罪者になったり、英雄になったりするのです。


 ちなみに、半村良イーデス・ハンソン(のもじり)とは有名な話。