戦犯という言い方を認めないのであれば…

 民主党小沢一郎新代表が「靖国に戦争指導者をまつるべきでない」(朝日新聞記事)と、かなりわかり難い発言をされました。

 (極東軍事裁判での)A級戦犯という言葉は認めない。勝った国が勝手に裁判したからだ。しかし、日本国民に対して戦争を指導した大きな責任がある

 本当に小沢氏が「A級戦犯」という枠組みを無効と思っているのなら、事実関係も洗いなおさずに言い方を変えるだけでその枠組みを受け入れるのはおかしな話です。


 とりわけ私はA級戦犯として処刑された広田弘毅氏に思うところがあります。若いときに城山三郎『落日燃ゆ』新潮社、という伝記的小説を読んだ所為でもありましょうが、他の資料に拠ってみても彼がむしろ戦争反対派であったということは明らかだと思っています。
 雑に「政治的配慮」などでこの枠組みを受け入れるのは、A級戦犯=犯罪者という考えを受け入れるのに変わりはないのです。「誰が戦争指導の責任を担ったか」について、あまりにも軽々しい判断にすぎるでしょう。

 小泉さんの(やり方)はだめだ。戦争を指導した人たちは靖国に本来祀(まつ)られるべきではない。戦争で亡くなった御霊を祀る本来の靖国神社に帰すべきだ。

 この「本来の靖国神社」なる小沢氏の考え方も浅薄であるというのは様々に言われております(たとえばこちらを参照)。また靖国神社というという宗教法人の祭祀に国家が介入すべきでないということは以前より申しておりましたが、未だに、しかも公党の党首がこのような発言をするとは情けないものです。


 kurokuragawaさん@玄倉側の岸辺で「名人か、それともホラ吹きか」という記事で取り上げられている内容にも同意です。私はむしろ分祀論の是非についても言及したいと思っていますが、今ちょっと時間がありませんので、おかしいと一番思えたことに触れるに留めておきます。