革命のナショナリズム

 特に中世期以降のヨーロッパ王室は「国際的」でした。たとえばハプスブルグ家やヴェッティン家のように諸国の王族と婚姻関係を作る名家が少なからずあり、各国の各王朝、そして貴族層は通婚をはじめとして国の枠というものに囚われてはいないように見受けられます。それが領土として問題になるときは王朝や領主の所有権という面で問題になるのであり、ナショナリズムという縛りはそこにはなかったと言えるでしょう。
 そういう点からみると、フランス革命は王室や貴族の「国際主義」と革命に蜂起した民衆の「ナショナリズム」とのぶつかり合いでした。体制側こそが「外国の軍隊」を国内に入れようとした売国の輩であり、革命側がそれと戦う愛国者という図式です。
 現在の民主主義の淵源をフランス革命に求めるとすれば、それは最初からナショナリスティックな色彩を持つものだったといえるでしょう。植民地からの解放という目的の米独立戦争にしても、それはイギリス王権対植民地ナショナリズムの対決であり、植民地の自治独立、解放戦争においてナショナリズムが重要な役割を常に果たしているということは疑うべくもありません。


 すなわちナショナリズムは国際主義の後から現れた主義主張であり、国籍に囚われない自己よりも新しい集団的アイデンティティーといえるのです。
 もちろん国民国家の形成とその潜在的な力を目の当たりにして以降の近代は、王室さえも国民統合の象徴として利用するようになります。市民的ナショナリズムは後発国ドイツ、イタリアにおいては王室とはじめから結びついていたようにも感じます。


 単純にナショナリズムを悪として措定することはできません。それは国民(という概念)に基づいて独立国家を形成するため、その構築にエネルギーを持たせるための現実的な神話なのです。国民、あるいは国民国家というもの「以上」に人々に受け入れられる考え方が出てこない限り、単純にナショナリズムを捨てるというわけにはいかないと私には思えます。