責難は成事に非ず

 韓国の拿捕をちらつかせるやり方に「脅威」を感じる日本人はほとんどいなかったでしょう。あれはほとんど彼らの一人相撲でした。また日本側が弱腰であったとも言えません。韓国と同じレベルで張り合わなかっただけで、実は正当性を背景にした強気の交渉で彼らの思惑を崩したと私は見ています。


 そして以下の二つの記事は、私も気付けなかった視点を与えてくださいました。
 マーケットの馬車馬さん「日韓の外交演習」
 玄倉川の岸辺さん「アジテーターに堕した花岡信昭氏」


 今回の決着は決してただの問題の先送りではないです。むしろ今後の外交、当該問題に関わる交渉への貴重な布石と考えられるのではないかと思います。第三者的にこの問題を見ている諸外国には、結局他国同士の領土紛争など「他人事」以外の何ものでもないです。日本に名分があるからといって、常に味方をしてくれるとは言い難いでしょう。それだけに、外交の実は自分で取れるならそれに越したことはありません。そして今回、実は取ったと言っていいと思うのです。


 私にも政治・外交がもどかしく思える時はいくらでもあります。そういうとき文句をつけるのにためらいはしませんが、後で自分の評価が正しかったわけではないと思うこともしばしば。やはり自分はそんなに偉くない、とどこかで思い出しておかないといけないですね。