気付いたら一年

 今日はあのJR西日本の悲惨な事故から一年の日です。犠牲者を悼み申し上げます。私が日記で最初にこの事故に触れたのは4/30になってからでした。そこでは「責任」ということについて書かせていただき、事件の概要がはっきりしてくる前にメディアによって加害者探しや糾弾じみたことが行われていることを批判的に書いています。そして

 責任は、当事者が、避けられれば避けられたあることを(自分の意志によって、もしくは過失によって)犯してしまった時に発生するのではないでしょうか?

 という、その後もずっと折に触れ考えることとなった「責任のあり方」についての私見を最初に書いておりました。そんな日記を振り返って見ているうちに、そういえば気付かぬうちにこの日記を書き始めて一年経っていたということも思い起こしました。
 書いた日数ではまだ361日ですが、ともあれよく続いたものだと思います。最初のうちはどう書くか、何を書くかについても手探り状態で(今もそれに近いのですが 笑)、トラックバックすらも何だかお恥ずかしくてできませんでした。


 それでも続けられたのは、手垢に塗れた表現ではありますが、読んでいただいた方々のおかげということもありましょう。これは紛れもない事実です。読んでいただく方がいて、そして折に触れ反応していただけたから続けることができました。傍証として、今まで手書きの普通の日記ではよくもって2、3週間だったことをここに告白しておきます。


 最初の頃のアクセスというものを今見てみましたら、まあお寒いものでもありましたが、一番最初のあたりが「底」というわけでもないのにちょっと意外な感もうけます。後からの参照を考慮せず、当日のアクセスが最も少なかったのが5月8日ですね。


 この日のアクセスが15です。


 後にも先にもここまで少ないというのはないのですが、いろいろな意味でこのアクセス数だけは忘れずにいようと思います。それにしてもよくこれで投げなかったですね。あまり頻繁にPV数を見ていなかったのが不幸中の幸いだったでしょうか…。


 思い出した記念に、この5月8日の記事を再掲しておきます。

■[備忘] 無知の知
 ある時、デルフォイの神殿で「ソクラテス以上に賢いものはいない」という神託が下りました。


 当のソクラテス自身が、そんなはずはないとこのお告げをあやしんで、多くの市民の間に賢者を探し求めましたが結局一人も見当たりませんでした…


 その時ソクラテスは(それでは)自分こそ一番の賢者なり!などと有頂天になることはせず、神託の意味を考えながらデルフォイへ参詣しました。するとそこに『汝自身を知れ』という箴言が刻まれているのを見つけます。(もともとそれは「自分の分際相応のものを認識せよ」…分を弁えよ、ぐらいの意味のものでしたが)この文字にソクラテスはうたれます。


 彼がそこで得た結論は、「自分は自分が無知であって賢者に値しないことを知っている。だがまさに自分が無知であるということを自覚している限りにおいて(他の自らは知者なりと賢しらに考えている者たちよりも)知者であるのだ」というものだったのでした。


 ソクラテスが直観したのは、神のみが真の(唯一の)知者であり、人々の無知を暴き神のみが知者であることを知らしめることこそ神への奉仕に他ならず、自分はその奉仕のために神託によって召されたのだということでもありました。


 ソクラテスは当時のソフィストたちやこれと目される人たちを次々につかまえて問いはじめます。勇気とは何か、正義とは何か、善とは何か…。もちろんこれらは誰にでも答えられる平凡な問いのように思われます。しかしそこに答えられた表層的な答えに対し、さらにソクラテスは問い詰めました。


 「勇気がある、とよばれるすべての行為に共通する同じものは何か」「すべての敬虔なわざが、まさにそれによって敬虔となる、その肝心なものの姿は何か」…。そしてソクラテスはばらばらの形式的規定ではなく、実質においてそれがどれだけの存在性を持ち、真理性を持つかを各自に突きつけたのです。


 こうしたソクラテスのやり方は、各人がそれによって自己を反省し自覚的に知にいたるようにとさし向ける方法で、当時から産婆術に喩えられました。


 ソフィストが主観的なものを無差別にロゴス(言葉・弁論…)にかえ客観性を言ったのとは全く方向が異なり、ソクラテスは主観的なものに徹することから、対話による相互了解を経て客観的なものにいたろうとする道筋を見出したのでした。



蛇足
 ある程度年齢を重ねると、自分がわかることとわからないことが大体見えてくるんじゃないでしょうか?もっと若いうちは、わからないことが出てきても「いつかわかるようになる」とばかりにあまり気にしなかったのですが、半端に年を取ると"Someday never comes"という諦観も身に染みて感じることがあります。



 わからないことがわかるというのはもちろん悪いことじゃないです。ただ時折自分に対して鉾先が向き、わかってないことがむやみに口惜しく思えたりするのだけは困りものです。



Someday Never Comes
(Creedence Clearwater Revival)


First thing I remember was asking papa "why?"


For there were many things I didn't know.


And daddy always smiled and took me by the hand


Saying someday you'll understand.


CHORUS:

Well, I'm here to tell you now each and ev'ry mother's son

You'd better learn it fast; you'd better learn it young,

'Cause, "Someday" Never Comes."


Well time and tears went by and I collected dust.


For there were many things I didn't know.


When daddy went away, he said, try to be a man,


And someday you'll understand.


CHORUS:


And then one day in April, I wasn't even there,


For there were many things I didn't know.


A son was born to me. Mama held his hand,


sayin' someday you'll understand.


CHORUS:


Think it was September, the year I went away,


For there were many things I didn't know.


And still I see him standing tryin' to be a man,


I said, someday you'll understand.


Well, I'm here to tell you now, each and every mother's son,


That you'd better learn it fast, you'd better learn it young,


'Cause someday never comes.