日本文化の制限が解かれてまだ10年にもならない…

 最近読んだ、法政大の呉善花さんの言葉です。

 韓流ブームの一方で日流ブームは見られない。その点でいえば、韓国大衆文化が日本へ一方的に流れ込んできている感じになるが、実際の韓国は戦後的な大衆ジャパネスク=日流の世界にどっぷりと浸り続けてきたのである。したがって韓流ブームとはいっても、基本的には日本化された韓国大衆文化が日本で受けているのであり、けっして韓国オリジナルがもたらしたブームなのではない。日本大衆文化をキャッチアップしての、一種のブーメラン効果といったらよいものが大部分である。
 しかも韓国大衆社会の日本化は、まことに不健全な形で行われてきている。韓国では長らく日本の大衆文化を下品とか退廃的とかいって非難し、韓国文化を守るためと称してその流入を制限してきた。ところが実際には、日本製であることをひた隠しに隠して大量に「密輸入」し、自前のものと見せかけて長らく馴染んできているのである。そうやって人知れず身内の文化となってしまえば、もはや下品とも退廃的ともいわない。我が国の誇るべき大衆文化となる。ここに、民族規模での「身内正義」の自分勝手主義・利己主義の姿を見ることができるだろう。
呉善花 「冬ソナ」に胸ときめかす前に)

 韓流ブームとやらに個人的には興味は持ちませんし(映画で何本かいいものがあったぐらいの印象)、もはや下火のブーム?に今さら何をとも思いますが、この呉善花さんの言葉で、あらためてつい最近まで、日本文化が韓国で門戸を閉ざされていたということを思い出しました。(もちろんアンダーグラウンドの部分ではいくらでもダダ漏れだったわけですが…)


 韓国政府による日本大衆文化解放
第一次解放(1998年1月)
映画:4大国際映画祭(カンヌ、ベニス、ベルリン、アカデミー) 受賞作の日本映画、 韓日共同製作映画が上映できるようになる。 韓国映画に日本俳優出演が許容される
ビデオ:解放対象日本映画で国内で上映された作品のビデオの販売が可能になる
マンガ:日本語版出版マンガ、コミックブックの出版が可能になる


第二次解放(1999年9月)
映画:公認された国際映画祭受賞作、 映像物等級委員会が認める「全体観覧可」(〜禁でない)日本映画が上映できるようになる
ビデオ:解放対象日本映画中で国内で上映された作品のビデオの販売が可能になる
歌謡公演:2000席以下の規模室内場所での日本人歌手の公演が可能になる


第三次解放(2000年6月)
映画:映像物等級委員会が認める「12才観覧可」、「15才観覧可」の日本映画が上映できるようになる
劇場アニメ:国際アニメーション映画祭を含んだ各種国際映画祭受賞作の日本アニメが上映できるようになる
ビデオ:解放対象日本映画とアニメーションの中で国内で上映された作品のビデオの販売が可能になる
歌謡公演:室内外の区分なく日本人歌手の公演を全面開放
音楽:日本語歌唱アルバムを除いた日本音盤(演奏アルバム、第三国語歌唱音盤、韓国語翻案音盤など)が許可される
ゲーム:専用ゲーム機用テレビゲーム物を除いたゲーム物(PCゲーム物、オンラインゲーム物、業者用ゲーム物など)が許可される
放送:媒体区分なく日本のスポーツ、ドキュメンタリー、報道プログラムの放送が許可される。ケーブルTV及び衛星放送の場合、公認された国際映画祭受賞作と全体観覧可映画として国内封切り作の放映のみ許可される


第四次解放(2004年1月)
映画:「18才観覧可」、「制限上映可の映画」(成人向け)の日本映画の上映が許可される
ビデオ:解放対象日本映画とアニメーションの中で国内で上映された作品のビデオの販売が可能になる
劇場アニメ:順次解放幅を拡大していく
ビデオ:解放対象映画、劇場用アニメーションの中で韓国国内で上映された作品をすべて許可する
音楽:日本語歌唱音盤を許可する
ゲーム:専用ゲーム機用テレビゲーム物(プレイステーションドリームキャスト任天堂など)を許可する
放送:順次解放幅を拡大していく


 これを読む時は、裏を読みましょう。つまり「解放」される前は、それぞれの日本文化作品というものは「低俗」なものとして(表向きの理由は、国民情緒及び青少年に及ぶ影響に配慮して)公的に禁止されていたのです。
 1998年まで日本映画も日本のマンガ・コミックも、一切韓国で上映・出版が認められていませんでした。
 1999年まで日本人歌手は韓国で公演できませんでした。
 2000年までドキュメンタリーや報道などでも、日本で作られた番組は一切韓国で放映できませんでした
 2004年まで日本語の歌は韓国で禁じられていました。日本の専用ゲーム機で遊ぶこともできませんでした。これはわずか2年前の話です。


 先の呉善花さんも取り上げていましたが、こういう記事があります。
 アトムを作り上げた「漫画英雄」の自叙伝『漫画家の道』

 今は『ポケットモンスター』が日本のアニメだということを承知の上で観ているが、3、40代の人たちは『少年アトム』が1979年までの28年間、日本で連載された『鉄腕アトム』の翻案であったことを知らなかった。『少年アトム』が実は日本の漫画だったという事実に、幼いながら裏切りに近い衝撃を覚えたものだ。
 なぜなら、私はホ・ヨンマンの『カクシタル(嫁の仮面)』で代表される対日抗戦の時代劇を観て育った漫画少年だったためだ。


 しかし、アトムだけではない。初めて私の神話的想像力を刺激した『火の鳥』や『ジャングル大帝』まで、すべてが日本の漫画だったという事実は、それらが全部韓国の漫画だとばかり思って、耽読していた私を深い劣敗感へと落とし入れた。


 まあこういう経緯を知っていたというのもありまして、韓流だ何だというのに騒ぐ気も最初から無かったわけです。普通に文化の相互交流と言える状態になってまだ二年とちょっと。十年も前は、一方的に日本(大衆)文化というものは拒否されていたということを書き留めておきます。
(参考:韓国における対日文化政策の変遷…わりに冷静な簡易版のまとめだと思います)