「使わないべき」という表現は使わぬべき

 「使わないべき」はもともと日本語の表現ではないはず。
 ここで「使う」という動詞の未然形に接続している「ない」は口語の助動詞で、文語の「ず」(打消しの助動詞)に相当するものです。この語は終止形および連体形で「ない」という活用になりますから、「べし」という助動詞に接続するなら確かに「…ないべき」ではあるのですが、ひどく耳障り(違和感ありまくり)に聞えてしまいます。
 それは用例がなかったからです。誤用から一般化という例はいくらもありますが、一般化するまでは長い時間がかかりますし、少なくとも社会的に認められるまではあくまで誤用ですし、知性・教養(笑)に欠けるもの言いであると言われて当然だと考えます。それで結構だとするなら無理には止めませんけど…
 誤用を面白がっているよう(言葉遊び)にも聞えません。単に言葉・用例を知らずに、「使うべき」の打消しとして間違って使ってしまっているという感じがあるのではないでしょうか。口語の「ない」は堅い文語調・漢文調の「べし」にはほとんどあわせられていなかったのですから。


 これはちょうど「違う(よ)」を崩した表現で「ちげー(よ)」とするのと同様の頭の悪さがあります。これも一回聴いた時点で日本語ではないと感じました。
 「ない」が「ねー」と変わるのは方言などでもよく聞く発音法で(江戸弁もそうです)、ちょっと伝法な感じすら受ける言い方だと思います。これがあるので、「しない(よ)」が「しねー(よ)」に変わるように「動詞+ない」は「動詞+ねー」に容易に変わりますし違和感もありません。
 でも「ちげー」は用例としては「違う」の連用形(ここでは名詞形)と取れるぐらいで、やはりこれも単に言葉・用例を知らずに、いきがって間違って使ってしまっているお馬鹿な感じがぷんぷんするのです…