フランク王国

 A.D.800年頃のヨーロッパには、その中央にチャールズ大帝(シャルルマーニュ 768-814在位)による広大なフランク王国が存在していました。西のイベリア半島では後ウマイヤ朝コルドバ回教国がそのほとんどを占め*1、北にはアングロ=サクソンの王国、そして旧ユーゴ沿岸と今のギリシアあたりから東はシリア・イラクに北接するトルコ領全土を含むようなビザンチン帝国(東ローマ帝国)も健在だったものの、以降のこの地域の主役はなんといってもこのフランクの帝国であることは間違いないという感がありました。
 その後王国は843年のベルダン条約、870年のメルセン条約で分割して継承され、これがフランス(西フランク王国)、ドイツ(東フランク王国)、イタリア(イタリア王国*2の基となったことはあまりに有名です。


 今回のワールドカップでは、準決勝に残った4国のうち3国がこのフランク王国の末裔ということになります。万万が一日本がグループリーグを首位で抜け、このフランスの枠のところにでもいたら日独伊「枢軸国」の大会と言われたかもしれませんが…。妄想はさておき、ちなみにポルトガルはと言えば9世紀当時は未だ存在せず、300年も後の1139年に、後ウマイヤ朝滅亡後分裂してできたムラビット朝から独立して建国ということになります。


 ちょっとフランク王国のことを思い出したので…

*1:北部の一角に根強くアスツリアス王国が残っていましたが

*2:イタリア半島の南半分はまだフランクの国ではなかったですが