反宗教主義(再)

 一年ちょっと前に「反宗教主義」というお題でエントリーを書いていましたが、その時の引用を再掲したいと思います。
靖国問題の不思議
(元上智大学教授・ザンクトガレン大学客員教授:八幡康貞)

 政教分離とは、まず第一に、宗教団体の政治への介入や影響を排除すること、第二に、国家が特定の宗教団体に偏った支援をしないことである。国家或いは地方公共団体が、宗教的なものと一切関係してはならないという解釈は、政教分離ではなくて、むしろ「反宗教主義」でしかない。国家がある人物の死を国葬をもって弔う場合も、その人物が属している、あるいは信奉していた宗教の儀式で行っても問題はないはずだ。

 八幡氏と何からなにまで主張を共にするわけではないのですが(しかもこの発言自体が5年前のものですし)、ここらへんのものいいには全く同感で、きちんとこういうことを言える方には敬服いたします。

 最初に確かめておきたいことは、全国民を巻き込んだ戦争の犠牲者の霊に対し、政治の最高指導者が、敬意と感謝の念を表すために参拝することは、当然、宗教的意味合いの行為ではあるが、国家の政教分離の原則とは矛盾しないということだ。

 これについても、毎年8月15日に行われる「全国戦没者慰霊祭」に首相・天皇のご臨席、お言葉があることを想起すればいいでしょう。あそこに宗教性がないとは申せないのはもちろんですし、それに対して「政教分離だから行事を中止せよ」との声が聞えてこないのも当たり前です。


 たとえば閣議決定を経た公務などでなく首相や天皇靖国神社に参りたいと思われるなら、それは黙って行かせてあげればいいだけで、靖国神社だけが「優遇」されているとその時点で騒ぐのはどこかおかしいように思えます。特に政治家は人々の想いをわかってあげるのが仕事という部分もありますから、靖国へお参りする政治家は、あそこを大事にして欲しい、参って欲しいという人が多いとも感じているのでしょう。


 靖国神社がどうしても嫌いだという方でも、「不踰矩」なのか横目でにらみつつスルーしてあげるというのが宗教的寛容に溢れた大人の態度だと思うわけです。