ワーキング・プアな親を持つ子どもの未来まで、勝手に番組で暗示するなよ〜

 という主旨の、双風亭日乗さんの「ワーキング・プアな親を持つ子ども 2」の記事が印象的です。

…ワーキング・プアは社会の構造的な問題であり、なかなか解決が困難であり、ワーキング・プアな親を持つ子どもは、やはりワーキング・プアになってしまう実状がある、という話はほんとうのことだと思われます。だがしかし、そういう悲惨な事例ばかりを取りあげて、いかにも未来がないように報道するのは、どうかと思ったんですね。

 まったく同感です。コンセプト番組としては致し方ないとも思いますが、切り取った現実の一面だけですべてを語ることはそもそも無理といえば無理。私の言葉などより重い、きちんとしたご意見です。

 何もできないのがわかっているのならば、せめて悲惨な状況にある人の「未来がない」部分を表現するだけなく、そういう状況に置かれても「救いはあるかもしれない」という部分も指し示すくらいのことはしてほしかったなあ、と思いました。

 未読の方は前日の1の日記も含めてお読みになることをお勧めします。「つまらぬ体験談」と謙遜されてはいますが、あの番組にも劣らず考えさせてくれること請け合いです。


ちょっと追記:私の番組への感想は数日前に書いたとおりですが、この記事ではまたちょっと違うところを刺激されましたね。「格差社会」批判は、最初学歴などの絡みから「格差社会が固定化しつつある」なんていう根拠の曖昧な話から始まっていました。私にはそれが学歴社会の肯定>固定化を進めるもののようにも見えていました。でも就学機会という問題に関して、そこにパスがある(パスをつける)ということの意味が、そのパスを通れる人の多寡以上に重要なんだなと感じさせられたりしています。