ドナドナ

 NHKBS2では今「懐かしのみんなのうた」を連続して再放送していて*1、今日の放送分には昭和41(1966)年の「ドナドナ」が入っていました。

 ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
 荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
 かわいい子牛 売られて行くよ
 悲しそうなひとみで 見ているよ
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる


 青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
 荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
 もしもつばさが あったならば
 楽しい牧場に 帰れるものを
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
 (訳詩 安井かずみ*2

 この歌の背景と言われているものを採り上げなくても、これは十分子供心に悲しい歌として残っていました。どれだけ慈しんで育てたとしても、もしそれが食肉用の動物ならば必ず出荷ということになります。おいしくお肉をいただいているのに、それでもその情景は辛く感じられます。そういう矛盾はもっていますね。
 id:nucさんからいただいたトラックバックで、猫の間引きはごく自然に行われていた普通の行為とされていましたが、それは確かにそうでしょう。祖父母の時代あたりでは(田舎でしたし)何のためらいもなくそういうことをしていたと聞いています。(また、遠縁の伯父さんがうちに来て鶏をつぶすのを見たと母は言っていました。残念ながら私は見たことがないんですが)
 猫の間引きで思い出すのは、筒井康隆の「池猫」です。たしか『にぎやかな未来』に入っていた短編だったはず。間引きは普通にあることだったとしても、(特に子供の心には)後ろめたさを感じるものとして、あるいはいやなものとしてそれは記憶されたのではなかったでしょうか。
 一緒に暮らす動物、役立てるために育てる動物、そういうものに対する感受性は、たとえば鶏をつぶすところを見たことが無いという体験に象徴されるように、背景に回って意識せずに済ませるようになった社会では「昔」とはかなり変わってしまったのかもしれません。


 ただ今回の作家さんの書かれたものには、そういう昔の感じ方は見られないようにも思います。むしろ今どきの感じ方の中で、避妊と対置させることによって自分の間引きを免罪しているといいますか、強弁みたいなものもそこに読み取ってしまいますね。


 そういえば、とついでに思い出したのですが

日本書紀巻第二十九
天武天皇四年四月(682年)


 庚寅に、諸国に詔して曰はく、「今より以後、諸の漁猟者を制めて、檻穽を造り、機槍の等き類を施くこと莫。亦四月の朔より以後、九月三十日より以前に、比身彌沙伎理・梁を置くこと莫。且牛・馬・犬・猨・鶏の宍を食ふこと莫。以外は禁の例に在らず。若し犯すこと有らば罪せむ」とのたまふ。*3

 この有名な天武帝の殺生禁断令*4では、身近な動物、飼育動物の類に特に殺生・摂食の禁忌の念を感じたかとも思われます。
 ここで食すのを禁じられた五畜は、「犬は夜勤めて吠え、鶏は暁を競いて鳴き、牛は田農に弊し、馬は行陣を労し、又猿は人に類し、故に食はずと、涅槃経に見ゆ」(『法苑珠林』)とされるように、仏教の教説に関係して禁制されたと考えられています。でも続日本紀聖武天皇天平二)や孝謙天皇天平宝宇二)の時には猪、鹿に対する殺生禁断の令も出されており、またこの本邦最初の殺生禁断令を出して以後の天武天皇が、御自身狩に出かけた記述すらありますので、これをひとえに生き物の生命を尊ぶ仏教思想的な殺生禁断と言い切ることも難しいでしょう。 そこには「身近な動物」のある種の特別視があったのかもしれません。

*1:午前10:45〜午前10:55 5分番組の2話連続放送。ちなみに明日は「チムチムチェリー」があるとのこと。昨日は1964、65年。今日は65年、66年と続いています

*2:Original Yiddish words by Aaron Zeitlin and Shalom Secunda みんなのうたでは、作詞 セクンダと表示

*3:かのえとらのひに、もろもろのくににみことのりしていはく、「いまよりのち、もろもろのすなどりかりするひとをいさめて、をりししあなをつくり、ふみはなちのごときたぐひをおくことまな(なかれ)。またうづきのついたちのひよりのち、ながづきみそかのひよりさきに、ひみさきり・やなをおくことまな。またうし・うま・いぬ・さる・にはとりのししをくらふことまな。そのほかはいさめのかぎりにあらず。もしをかすことあらばつみせむ」とのたまふ。

*4:これが日本における肉食/菜食の分離の嚆矢ともされる