【宋文洲コラム】に一言

 NIKKEI NETのIT+PLUSで元ソフトブレーン社長の中国人宋文洲さんのコラムが連載されています。たまに読ませていただいているのですが、次の記事―「再チャレンジ」は美しいが、実現は難しい【宋文洲コラム】―にはちょっと一言書きたくなりました。特に次の箇所に引っかかりを覚えたのです。

 わざわざ総理候補の安倍さんが「再チャレンジ」を政権構想に掲げるほど、日本社会が「前科」のある人に寛容ではないのは確かです。死んだ人の罪を許すことが文化というのですから生きている人の罪も許さないと本末転倒です。

 元のコラムは、儒教の上下関係の「恕」(ゆるし)とムラ社会の縛り(村八分)などの文化的残滓により、日本社会が「再チャレンジ」に厳しいと宋氏が経験を交えて語るものです。内容は元コラムをみていただくとして、私にはやはり上記引用の部分が理屈として正しくないものに思えます。それはおそらく文化的差異からくる誤解に基づくものではないでしょうか。


 晨旦(現在の中国)の文化が長い間日本の文化に大きな影響を与えてきたというのは間違いの無いことですが、実はその基盤に大きな違いもあることは確かです。特に晨旦は「神話のない国」と言われるほど古い神話が残されていないところです。他の古代文明や周囲の国々と比べて、極端に神話が少ないのです。これには思想的な背景が考えられています。

 …中国民族は、神話の伝統を否定し抹殺するという形での知的精神の目ざめから出発して歴史時代にはいって行ったらしく思われるのです。中国神話の資料としてよく使われる屈原の『楚辞』などは華南、つまり古代では周辺の未開地域の産物ですね。中国の歴史の最初には三皇五帝とか堯・舜・禹といった聖天子の話が出てきます。こういう天子の話はもとは神話だったらしいのですが、それが人間の話に書き直されてしまっている。要するに中国文化は、神話の伝統を抹殺して、それを人間化してしまうところから出発した文化であるといえます。
(湯浅泰雄『日本人の宗教意識』名著刊行会、1981)

 このように晨旦文化は、最初から現実重視(言い方を換えますと現実偏重)のところがあったと言われているわけです。それゆえ死者と生者の存在論的な区別にあまり意味を感じない、だからこそ「死者に寛容ならばこそ生者に寛容でなければ意味が無い>それは本末転倒」のような言葉がでてくるのかなと思います。


 死者は生者と別格だと私たちの文化は捉えていると思うのです。仏教伝統ではそれがホトケとなったものへの許しともなり、またさらに古層では、カミとなった「死者による復讐」〜祟りへの怖れというものもあるのではないかとも思われます。 ここらへんは軽々に言うのも何ですが、少なくとも日本文化は死者に罰を加える云々の伝統を持ってこなかったのは確かであり、その点で死者の捉え方が大きく異なることだけは言えるでしょう。儒教では「霊」の存在を曖昧にしておりますし、死者へのお供え物も生者に差し上げるように行うというのが基本とされます。根っこのコスモロジーが違う文化ですから、それは長く日本に住まわれている宋氏にもよくおわかりでなかったのではと考える次第です。


 確かに儒教は日本の精神文化に大きい影響を与えました。男尊女卑の伝統などもそうですし。ただそれは影響を与えたものの一つでしかなく、たとえば「恕」で日本の「ゆるし」を語るのは無理でしょう。
 俗説ですが、村八分は「冠・婚・産・病・築・水害・年忌・旅」の八分の付き合いを外して「葬・火事」だけ付き合うものとも言われます。ここで「葬式」は別とされているのも、それこそ「死者は生者と別」とする心情が働いていると思って間違いないのではないかと…。


 結局、ちょっと皮肉めいて書かれた「死んだ人の罪を許すことが文化というのですから生きている人の罪も許さないと本末転倒」という言葉は、日本人にはよくわからない理屈ではないかということなんですね。やはりそこには違いがあるんです。