お金で「学力」が本当に買えるの?

 今日のNHK総合『海外ネットワーク』で「格差広がる韓国社会 その実態は」という小特集のコーナーがありました。内容は'97の通貨危機以来、非正規雇用労働者が五割を占めるまでに至った韓国で(ちなみに日本は三割ほどとされています)、正規雇用者(というか不動産関連の社長42歳)の家族・暮らしぶりと非正規雇用者(学習教材の販売・採点で生活する38歳)のそれを比べて、韓国社会の格差(両極化)を紹介するといったものでした。
 

 お金に困らないこの「社長」の裕福な生活、そして娘二人の教育費だけで日本円で月10万かけるリッチさに比べ、月収がやっとその10万円ほどの非正規雇用の彼の暮らしは、雇用不安や福利厚生費の負担(健康保険他の過負荷)で楽でないことがすぐ見て取れる感じでした。
 そして話は「教育にかけるお金」という点に絞られ、「日本以上の学力社会」である韓国で「格差の固定化」が問題視されている云々というあたりでまとめられていました。


 さて、この中で生活に不安を抱える方の男の人は「自分に投資することも、子供の教育に投資することもできない」と嘆いていたのですが、はっきり言ってこの考え方には疑問を持ちます。なぜお金をかけさえすれば子供の学力が上がると思うのでしょう? そしてまた、お金をかけることで「格差の上の方」にいけることが保証されるように思えるのでしょう?


 日本でも、格差社会論を唱える説の少なからぬ数が、この「教育にかける費用」での格差の固定化というものを挙げています。
学力の二極化、64%が実感 有識者委アンケート

 有識者らでつくる「日本の教育を考える10人委員会」(委員長・佐和隆光立命館大教授)は11日、約1万人を対象にした義務教育アンケートの結果を公表した。それによると、勉強ができる子と、できない子という「学力の二極化」が進んでいると感じる人は3人に2人で、うち7割近くは「所得格差が原因」と考えていた。同委員会は「少人数教育を含めて、きめ細かな指導ができる施策が必要」と提言している。 (中略)


 それによると、学力の二極化が「進んでいる」と思う人は全体の64%。「分からない」が30%、「進んでいない」は5%だった。「進んでいる」と答えた人のうち、66%は「所得の格差によって、子どもの学力に影響が出る」と回答した。
(ashahi.com 2006年09月11日)

 失いたくないものをより強く意識する人たち、つまり「持てる者」の側がその自らの「富」なり何なりを永続的に望み、それがたとえば子弟の教育に金をかけるという形で出てくるという事態はわからないでもありません。それがたとえ空しい望みであっても、人は何かせずにはおられないものですし。


 ただ、その考えに「持たざる者」と自認する側がお付き合いする必要があるのでしょうか? あなたは、そういった自分への「投資」か何かで実際に多くを得た覚えがありますか? 恥ずかしながら私には覚えがありません。高価な教材なんかで何か得ることには(その所為か)非常に懐疑的です…。


 教育は「投資」じゃないでしょう。確かに高校なり大学なりの高等教育を金銭面で断念せざるを得ないような状況は憂慮すべきものですし、それには制度的な手当てが必要だとは私も考えます。しかしそれ以前の「学力」が、お金によって結構つくられるものだと思うのは間違いではないでしょうか。


 本当にお金で学力が購えるとお思いですか?
 それは言い訳です。どうにも上記アンケートの結果などを見るとそういう誤った考えが多いようで、私にはそちらをこそ憂慮すべきではないかと見えます。
 そしてまた、学力なんかで「安逸な暮らし」が手に入るなどという、まるで明治時代の立身出世主義の名残のような固定観念をお持ちの方が多く残っているうちは、多様な選択肢のある社会などは夢物語…というふうに思えてしまいますね。