サヨクと言いウヨクと言うも…

 作家の高橋三千綱さんが数日前のあるエッセイで次のように語られていました。

 (前略)
 わかりやすくいうと検事の場合、目の前にいる被疑者が無罪を主張すれば、てめえは嘘をついているだろう、と追及する立場である。つまり、疑心暗鬼なのである。


 でも、弁護士の立場でいえば、目の前にいる人がわたしは無罪であるといえば、それをそのまま信じて、法廷でその無罪を主張する者である。


 前書きが長くなった。わたしが弁護士の立場といったのは、目の前で喋っている人に対して、一切の疑念を挟まない者であるといいたかったからである。嘘をついているとか、格好をつけているとか一切の疑念を挟まないし、わたしの批判を介入させるものではない。
 (後略)

 高橋氏のエッセイの内容とは全く関係ないのですが、これを読んでふと思いつきました。

 サヨクとは、国とか政府とか既存の権威・保守的立場の存在を検事の目で見ている人たち

ではないかと。
 そしてまた思ったのです。そのサヨクさんたちやサヨク的立場のメディアを「検事の目」で見る人たちを、サヨク側から「ネット右翼」と呼んでいるのではないかなと。
 またそちらの側からすれば、私も含むコリアウォッチャーで半島のことを「弁護士の目で見ない」人々がみんな「嫌韓厨」に見えるのかもしれません。まあこうして相対化して考えると、皆自分の見ているものは当然に見えて、そこに誤解がある(というより理解が無い)状態なのかなと感じることはできますね。


 どういう立場で(目で)何を見るかについて、本当はどこにも必然的な根拠などないのだと思います。でもある立場を選んだことで、その当人には自分の目線が「当たり前の」ものに見えているわけです。そしてその目線を共有しないものが馬鹿に見えたり悪人に見えたり…。


 もしかしたら本来、国とか政府とか既存の権威を厳しい目で見る人と、マスメディアを疑いの目で見る人と、韓国・中国を疑心暗鬼っぽく観察する人とはいがみ合う必要はこれっぽっちもないのかもしれません。それでも何だかそれぞれの主張や意見は対立しているようにも見えます。基本的なスタンスの違い、そしてそこからくる認識の違いが、お互いを馬鹿に見せてしまっているのでしょうか。

 いえ馬鹿にし合うぐらいならともかく、これがいつの間にか互いに「相手の悪意」を見せてしまっているのかもしれません。そしてそれが昂じると、陰謀論的思い込みになってくると…。そこまでいっちゃってる人は、どちらの立場にしてもそれほど多数派ではないと考えたいですけどね。

 サヨクとは、国とか政府とか既存の権威・保守的立場の存在を検事の目で見ている人たち

 ネット右翼とは、そういうサヨクとかマスメディアとかを検事の目で見ている人たち

 嫌韓・嫌中の人とは、韓国や中国を検事の目で見ている人たち

 親韓・親中の人とは、韓国や中国を弁護士の目で見ている人たち

 単なる思い付きなんですが、少し敷衍してみました。

蛇足

 JANJANの記事なのですが、「東アジア平和フォーラム2006」という催しの紹介がありました。
 北朝鮮は敵ではない〜「東アジア」の視座から 2006/10/10

 10月9日(月)、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)が核実験を実施したと発表した。メディアは相次いで、訪韓中の安倍首相のコメントを報じた。安倍首相は「断固として強く非難をする」という。核を使ったことが事実であれば当然の対応だが、非難の先にありうる経済制裁などの強硬策を懸念する声も聞こえる。


 7日より東京都千代田区で開かれている「東アジア平和フォーラム2006」に出席した加藤紘一衆議院議員は9日、「北朝鮮は追い込まれている」と語り、日朝の対話を進めるべきだと説いた。(中略)


 「北朝鮮は日本が考えるほどとんでもない大きな国ではなく、何とか日本の気を引こうとしている。仮に韓国と北朝鮮が統一された場合、東アジアで日本だけが核を持たないのかという議論も出てくる。だからこの問題については六者会談はもちろん、日本は日朝の対話も進めていくべきだ」(中略)


 議論では「制裁によってでは北朝鮮は改善しない。むしろ制裁することで、国連からの脱退、38度線の突破、ミサイル攻撃などを行うことも考えられる」「北の核をなくせ、というのではなく、世界から核をなくせ、ではないのか」「核実験をしたから北朝鮮問題を考えるのではなく、隣人だから考えるべき」など、北朝鮮との宥和的な関係を重視する発言が多くなされた。(後略)
 (山本千晶)

 北朝鮮の核実験という間の悪いタイミングで、それでもがんばっておられるなあと少々感心はします。でも内容に同調はできません。私にはどうにも北朝鮮が「話せばわかる」タイプの隣人には思えないのです。
 対話する前に切り捨てなんて…と言われるかもしれませんね。しかし朝鮮戦争を仕掛けて内戦を生みそれを誤りだと認めず、帰還事業で人々を騙しそれを恥じず、日本人を拉致してそれに誠意ある対応をせず、米朝核合意で援助だけはさせておいて核開発を続け、日朝平壌宣言を反故にしてミサイルを撃って恫喝しようとし、昨年の六カ国協議の共同声明を何ら顧慮することなく核実験をし「誇らしい」と言ってのける、そういう隣人を相手に「話が通じるだろう」と想定することに私は非常な無理を感じます。


 私の理解の中では、上記フォーラムのような場で北朝鮮への制裁に疑問を呈し、なぜか排他的ナショナリズムとかいうキーワードを出して討論されるような「東アジアの平和を考える日中韓の“知的活動者”」の方々は「サヨク」の範疇に入ると認識しています。
 ここに出席の加藤紘一氏、民主党仙谷由人氏、ハンナラ党のユン・ヨジュン氏など、どなたも革命だの社会主義だのといったことは主張としてお持ちではないでしょう。ですから左翼とは言えません。しかしどうにもこれは理念的リベラル、カタカナの「サヨク」的というスタンスに見えます。つまりは、対抗言論であろうとするのが主目的であるような議論をされる方々、ぐらいのもの(に思える)ということです。


 北朝鮮の核実験を「米国や日本の経済制裁によって追い詰められた末の行為」であり、さらに制裁を加えれば「最悪の暴発が…」といった感じの擁護論も散見します。上記フォーラムでもこれに近い意見がだされているようですが、これは例の「ABCD包囲網によって追い詰められた」末の止むを得ない対米宣戦布告、というような主張を認めての発言に見えます。つまりそこには「アンチでありさえすれば、どのような理屈を援用しても構わない」的なスタンスがあるのではないかと…