今日は朝から書類書きに追われて疲れ切って帰宅。こういう時は家が近いのが幸いです。
 『ぶどう酒が水になった話』は結局たかを括ることの怖さを言っているということで、「自分ひとりくらいいいだろう」というのが大半を占めてしまうことの危うさですよね(この話では全員なんですが)。易きに流れるのが人間だというのは自分で十分にわかってますから、かなり意識して暮してます。貧乏性?かもしれませんけど。
 この話、実ははてQで調べて拾ったものでした。いろんなことがここから言えそうですが、疲れた時に書けばお説教みたいになるに違いないので止めます。日常のいろいろとか、公共性とか、対北朝鮮中韓の態度とか、選挙のこととか、考え合わせればどうとでも拡がりそうな話で、小学校の教科書(国語か道徳?)恐るべしと思いました。


 でもお説教・ご高説ばかりじゃなくて、自分がこのおじいさんだったらどうかと考えてみると、それは悲しいでしょうが村のみんなを責めるっていうのはしないんじゃないかとも思うんです。みんな豊かじゃないのは一番知っているはずの年寄りなんですから。
 貧しさは罪じゃありません。でも貧すれば鈍するというのがこわいです。さもしくならないようにするには、気持ちを強く持つしかないでしょう。それができて、なおかつ他の人の少々のさもしさに寛容であるというのが理想でしょうね。私にはなかなかできません。よくて自分を律することがせいぜいで、そういう時には余裕がなくなって、やっぱり人にも強くあたってしまいます。結構歳をくっても難しいものです。


 今日は締め切り仕事でしたので、昼過ぎぐらいにかけてだんだんイライラが募りました。そんな時同僚がチョコをくれて、ちょっとほっとできました。ありがとうと言ったら、「餌付けは人間関係の基本でしょ?」と身も蓋も無いことを…。なごみました。
 そういう基本を押さえているわりには、彼女は結婚せずに三十台を終えようとしています。しかも哺乳類の専門なのに。鹿の死体とかを担いで山を歩いたりしているのがいけないのだと思います。まあ彼女より年上の私がそれをどうこう言っても説得力はないですが。


 それはそうとふと思いついたのは、昨日褒めた『パンプキン・シザーズ』ですが、あれは『鋼の錬金術師』にどこか通じるような感じですね。絵柄とか、背景の帝国軍とか、その中で人々に心を寄せるキャラとか。ここからまた違った展開もあると思うんですが、道理で何か好みと感じたのだったなあと。