教師が嫌いになる

 かつて、教師に絡む子、教師を憎む子はその教師に好意を持って欲しくて、それが得られないから逆の感情を抱くというパターンが多かったようにも思います。親が好きで、でもその親に愛されていない気がするからグレるというのとどれほども変わりません。


 教師にそれほど興味がない子は、軽蔑することはあれ「嫌い」などという積極的な負の感情は持たないものだったのではなかったでしょうか。所詮教師も他人という醒めた感覚からは、強い感情が出てくるはずもなかったはずです。


 どこか教師に親(保護者)を見るような感情を抱いて、それゆえ好きになって欲しい、無視して欲しくないという欲求が意識的、無意識にあるような場合、それが叶えられなかった時に「屈折」して、その教師とそこから拡がって教師全般に対して敵意を抱く。そういうタイプの子たちはよく見かけたものです。


 単純な屈折です。でも本人は恥ずかしくて、あるいは恥ずかしすぎて意識できずに内向する屈折ですので、教師がそれを意識して対応しない限り表にでることはありません。それが単純だとするのは、その教師、あるいは全く別の教師でもその子に意識を注ぎ、その子のことを目にかけてあげるという経験が「屈折」を解消する契機にもなったからです。わだかまりは案外あっけなく消える、そういう「青春ドラマ」の一つのパターンのような感情ですね。


 教師の側はできるだけえこひいきせず、意識的に順繰りに注目してあげる。そんな簡単なことで、結構人間関係に問題を作らずに済む…そういう単純な学校社会はすでに昔のものなのでしょうか?


 この頃の小学校、中学校というものがわかりませんので何とも言えないのですが、そういう大人の態度で済むものなら、教員が自覚して経験を積めばいくつかのクリティカルな状況は改善するように思うのですが…