教師はどう特別か

「女子大生を暴行・脅迫」停職 教授の処分取り消す判決

 名古屋大大学院文学研究科の男性教授(53)が、同大から「女子学生と性的関係を持ったうえ、暴行したり脅迫したりした」と、停職6カ月の懲戒処分にされたのは違法だとして、同大に処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁は19日、教授の請求を棄却した一審判決を取り消し、懲戒処分を取り消すよう命じた。野田武明裁判長は「処分の前提となる事実の評価を誤っており、違法だ」と指摘した。


 判決によると、教授は96〜00年、同大の女子学生と性的関係を持ち、別れ話などから女子学生の首を絞めたり、「家族を殺す」と脅したりした。女子学生の申し立てを受けた同大のセクシュアル・ハラスメント(性的嫌がらせ)対策専門委員会などが調査を進め、同大は01年3月、教授を懲戒処分にした。


 野田裁判長は、教授と女子学生との関係を「社会通念上、否定的な評価を受けるのが一般的だ」と指摘。一方で、「教授による暴行や脅迫は、恋愛関係を続ける中で生じたもので、それらを取り上げて処分理由とするのは誤りだ」とした。 (後略)


(ashahi.com 2006年10月20日

 新田次郎さんの『聖職の碑』を持ち出すまでもなく、幼少期から青年期の人格形成期間に権威・権力を以って指導・教導の授受関係があるという点では教職は特別な意味を持つと思いますし、特別な受け取られ方をするのは不自然ではありません。


 「先生も人間だから」


 と言いたくなるのは重々わかりますが、やはりこれはあからさまにいうべき言葉ではないと思います。心構えというか職業倫理的には、その特別の重責を担える人のみが教職をやって欲しいと考えます。


 しかしながら、互いに成人となった教員と学生の関係を「特別に法的に縛る」ことはできませんし、パワハラだのアカハラだのいう権力利用型の卑怯なまねがないならば、通常の男女の交際と殊更分けて特別扱いするというわけにはいかないのも当然に思えます。


 教師と生徒・学生の関係よりも特別な親子・祖父母と孫の(尊属)関係において、かつて刑法第200条では「尊属殺規定」があり、この関係の殺人は特に重罰を与えるという決まりがありました。しかしこの条文は日本国憲法第14条で規定された「法の下の平等」に違反し違法であるとの憲法判断が示され、すでに刑法の規定からこの条文は除かれています(参考:尊属殺法定刑違憲事件)。


 このような法規定の変化の流れからしましても、特別に教員を重く罰する云々ということが正しいこととも思われないのです。
 

 教員と学生との関係が男女関係に至ることを「社会通念上、否定的な評価を受けるのが一般的」と断ずるのもどうかと個人的には考えます。ただしその職責からして、教員が学生と師弟関係以外の関わりを持つときには、従前の師弟関係と両立させることのできない人がそれを望むのは思慮のないことだとも判断します。
 これは自由だとか権利だとかいうことではなく、ケースバイケースで、特に教師の側でそれなりの器がある場合にのみ望めるし成功できることではないかと思うのです。無謀にも試みて失敗したときのしっぺ返しは、当然考えねばなりませんし…。
 器云々で言いますと、上記記事を読んだ限りではこの教授にそういうものがあったとも思えないんですが(これではただの思春期の男の子とたいして変わらないでしょう)、それでも裁きという観点からは特別扱いしないという判断がでてきて当然とも感じるのです。汚名を着ることにはなるでしょうし、大学側がこの失敗を理由に処分することに対してはあまり違和感もないのですが、問題はどのくらいの処分が適正かというところにあるのでしょうね。