気候危機(Climate crisis)

 現在地球で、人類の生存を脅かすだけの気候危機が起きていると予測するのは(その真偽判断はともかく)まっとうな行為ですし、仮説としてその危機に人間の生活スタイルが影響しているのではないかと考えるのも意味があることと思います。
 しかし気候危機の傾向として地球の温暖化を言うのと、アル・ゴア氏らが警鐘を鳴らす「地球温暖化」を絶対視することは違います。後者は優勢な学説であることは間違いないのですが、すでに無謬の定説として科学的に証されたとおっしゃる向きには疑念を呈します。


 気候が比較的短いスパン(数十年〜数百年)で温暖化の傾向にあるか否かはデータさえあれば検証は可能です。そしてそれはどうも正しいことのようです。ただそれが、人間の活動によって排出される物質(二酸化炭素など)による温暖化であると断定してしまうのは拙速で、そちらの方がむしろ科学的ではない態度でしょう。(強い?)相関を見て取ることと因果関係を断ずることには、質的な段差があるのですから。


 このことについて断定的な態度を取り得ないのは、この地球がかつて人類文明の存在以前に多くの温暖化・寒冷化を繰り返してきたと考えられるからです。そしてその気候変化の原因が何であったかについて、現在の科学はまだ確定的なことは言えていません。
 地球規模での気候変動について手さぐり状態であるにも拘わらず、この現在の気候の変化についてだけ断言できるとするのはおかしいでしょう。二酸化炭素の排出量が異様に増大しているのが確実だとしても、現在の温暖化傾向がそれと全く異なる原因で起きているという推測も決して排除できないのですから。


 まして「今年の冬」が温暖であることに対して、「地球温暖化」の危惧を語るような天気予報番組(いくつか見ました。気象予報士ではなくアナウンサーの言葉だったと思いますが)などはまさに「似非科学」的態度の最たるものではないでしょうか?
 私たち人間はまだ地球のことについて知らないことを多く持つのだという事実を、謙虚に考えるべきだと思います。


 ただこの「地球温暖化」言説について、一つ考えられることがあります。
 それは、もし気候危機があるとして、その原因が「人間」にあるのならば「人間の取り組み」でそれを解決できるかもしれない(orできるのではないか)と希望を持つことができるということです。もしかしたら「地球温暖化」言説は、人々に希望を持たせる役割を担っているのかもしれません。


 もちろん推測の段階でも、万一を考えて人間ができることをしようじゃないかということでしたら、それに賛成することはやぶさかではありません。
 でも科学的研究を離れて、この問題が政治的に様々な影響をもつようになるのを目にすると、それが一つの「終末論」を形成しているように感じられてしかたがないのです。「悔い改めれば救われる」と説く人を見るとき、私たちはそれが「偽預言者」ではないかとちょっと立止まって考えるべきなのではないでしょうか?