騙されても負けでは…(承前)

 先日、手術前の母と話をしていまして、母が下着から差し歯から指輪から全部取らなければならなかった…ということを言い、あれ指輪していたの?という話になったのですが、何でも


 「はめていれば血液がサラサラになる指輪」というものを買っていた


 ということでしたので、瞬間「あちゃー」と思ってしまいました。そのようなものがあろうはずもないというのが現時点での私の常識ですから。
 それでいくらだったのと聞くと結構大枚をはたいていたみたいなんですよ。私は一瞬言葉を失ってしまったのですが、ああそう…と話を流しました。


 手術前日のその日、私は母に「あなたは騙されている」というようにはとても話せませんでした。そしてもし騙されているということについて母に納得させることができたとして、一体どんなメリットがあったでしょうか?むしろ下手に母を失望させて、手術前の精神状態を落ち込ませたとかが関の山だったのではないかと思います。(それこそクーリングオフ云々が効くはずもない以前のことのようでしたし、詐欺行為を立証して返金を求めるにしても、あまりに時間やお金がかかりますから…)


 泣き寝入りが正しいということではありませんし、私は目の前で詐欺行為が行われていれば走っていって止めたいと思う方です。でもすべての「騙されている」(ように見える)人の目を覚まさせてやらなければならない!とする他に、ちょっと考えよう・やりようもあると思うんですね。


 特に精神的満足や安定ということに関して、余人が容喙できる部分とそうでない部分もあるだろうと考えます。詐欺師が得をするのはいやだと思いますよ。でも浅はかな詐欺師が考えた以上の何か深いものを人は(勝手に)受け取ることだってあるのではないでしょうか。


 こういうのは程度問題、そしてケースバイケースです。白黒はっきりつけるより難しいことです。単純に傍から口を出せばいいというものではないでしょう。
 宗教に絡んだことにしましても、もちろん急を要するようなカルトからの足抜けというものもあります(私は批難すべきセクトは存在するという立場です)。でも「私はすぐ来る」と言って置いて二千年も待たせている人を嘘つき呼ばわりしたって何にもなりませんし、56億7千万年後の空手形を無意味だと切って捨てても、それは何もわかっちゃいないのだと見えてなりません。


 「よかった。病気の子供はいないんだ…」
 と考える余裕は素敵でしょう? そう思えば騙されても負けではない場合だってあるということをわかっていただけるかと…