大学設置基準大綱化(メモ)

uumin32007-03-09


 新制大学発足以来戦後最大の大学改革と言われる「大学設置基準大綱化」とは、端的に言えば大学の規制緩和でした。それ以前に存在した設置基準の細かな規定が、緩やかな大枠の中でより自由に決められるようになったという一面が確かにそこにはあります。
 またそれまで個々の教員が担ってきた各授業と単位(への責任)を明確に調整・システム化して大学が担い、それが大学外部から評価されるという形式がここで打ち出されましたので、教員側からすればそれは権限の縮小・管理強化でもあり、大学の機構側からすれば突然の責務・負担増であったのも事実です。

…大学設置基準が1991年6月に改正され(施行は1991年7月)、一般教育と専門教育の区分、一般教育内の科目区分(一般(人文・社会・自然)、外国語、保健体育)が廃止された(大綱化)。これにより、各大学は4年間の学部教育を自由に編成できるようになったが、その一方で、教育研究活動について、大学自ら点検および評価を行うことが求められた。
大工大、林正人氏「大学設置基準大綱化後の共通(教養)教育のかかえる問題」)

 ところがこの規制緩和自体が拙速だったのか、あるいは大学側の準備不足が顕著だったのか、おそらくその双方が相俟って大学の現場はいささかなりとも混乱し、思いもかけなかった副作用を生みます。

 特に、一般教育と専門教育の区分廃止のもたらした影響は大きく、一般教育課程ないし教養部の改組・解体が多くの大学で進行した。そして、設置基準大綱化の5 年後には国立大学の教養部・一般教育課程はほぼ姿を消した。
 大綱化以降の大学教育改革は、専門教育を中心とした学部教育の編成へと進み、結果として教養教育が軽視される風潮を生んだ。

 大学で教養部が解体され、教養(一般)教育が軽視されるのと同時に、高等学校では科目の選択制が進み、学力・教養レベルの低下と多様性が生じてきたのである。皮肉なことに、大学で教養教育の強化が求められる時代に、それを担う教育体制が弱体化してしまったのである。
 (前掲、林論文)

 またその教養科目軽視的風潮は、大学・教員だけでなく学生にも影響が及んでいるということも言われます。たとえば下で言われる「単位の早取り」などがその典型的な例でしょうね。教養(科目)の形骸化という印象を強く受けます。

 1991年の設置基準の大綱化は,大衆化社会に適応した高等教育システムを本格的に定着させようとしたものです。その時に,理工系では160単位,最高では180単位近くにも達していた4年間の履修単位数が,一律に124単位に引き下げられました。しかし,この引き下げは,単位制度の持つ意味を十分に検討しないままに行われたきらいがあります。その結果,かなりの混乱が教育現場,特に全学教育などで起こりつつあります。


 その1つは,「単位の早取り」という現象です。半年間の履修単位数を15単位とすると,1コマを1単位と計算する語学や実験を考慮しても週10コマ程度ですので,これを5日間で履修するとすると1日平均では2コマくらいにしかなりません。授業時間だけで単位計算をする高校までのやり方に馴染んだ学生たちには,このように穴だらけの時間割は非効率的に映ります。そこで新入生たちは,1年の前期では朝から晩まで授業を受けようとします。ちなみに,入ったばかりの学生に聞くと異口同音に「忙しい」と言い,授業において多少の宿題を課そうとすると,「他の授業もあるのでとても出来ない」などと平気で言います。1日5コマ開講されている授業のうち余裕をみて4コマとって,すべての試験に合格したとすると,前期のみで30単位以上,すなわち卒業に必要な単位数の実に4分の1以上をとることができます。同じことが専門の課程でも可能だとすると,124単位は2年間で楽々とれる計算になります。もちろん,延べ4カ月にもおよぶ夏冬の休みや年度末の休みは,しっかりとることを前提にしています。このような計算から,多くの若者は,大学はひまで,アルバイトに相当な時間をあてながら楽に卒業できるはずだと思い込むようになります。


 このような「常識」が,大学生のみならずその予備軍である高校生の間にも広く行き渡ってくると,次の問題が生じてきます。受講生の一人一人が識別され,準備に時間をかけざるを得ない小人数の授業を迷惑だと考える学生が現れてくることです。実際,選択幅の広い自由なカリキュラムにおいては,彼らの常識からはずれるこの種の授業は敬遠される傾向が顕著に現れています。大学らしい少人数教育に情熱を燃やす教官は,このようにして教育現場において学生の意識とすれ違い,傷を負うことになります。
 (北大、小笠原正明氏、「再び「単位」の意味について」

 なぜ教養課程の弱体化という結果が生まれてしまったのでしょう。
 まずこの改革の意味がどのようなものであるか誰もきちんと把握できず、混乱の中で実際に動き出していってしまったということがあると思われます。

…答申で述べられている「教養教育と専門教育の有機的連携」というキーワードが大学組織の中でうまく機能せず,言い換えれば,大学設置基準第19 条に示す,「大学は,当該大学,学部及び学科又は課程等の教育上の目的を達成するために必要な授業科目を開設し,体系的に教育課程を編成するものとする」という本来の趣旨が大学教育の中において上手く伝わらなかったということが原因であることがわかった.


 教養部の解体に始まった教養教育の実施組織における責任の所在の不明確さ,実施組織の在り方が,学士課程の混乱として今日まで続いている.このことは,大学設置基準の中に「教育課程」の考え方が誕生し,学士課程の4年間における大学教育そのものが,量的基準から質的基準に転換したという趣旨の混同であることに起因している…
 (桜美林大、菅田誠氏、修論要旨「大学設置基準大綱化以降の教養教育 ―学部教育から学士課程教育へ―」

 また教員の中でも、専門科目を教える教員と教養課程の教員との間に齟齬があったという面も忘れられないでしょう。

 多くの学部専門教員は共通科目の理念を理解しておらず、教養部解体を勝手に教養教育不要論に結びつけ、専門教育重視の方向へと走った。その結果、共通教育の単位数削減、専門教育の低学年への移行が進み、選択制の拡大もあって、系統的な教育課程編成には至らなかった。しかも、共通教育の負担は旧教養部所属教員へと集中し、教養教育の必要性・重要性は全学の委員会では強調されてはいるが、実際の教育現場ではほとんど顧みられることはなく、学部教育は事実上専門教育によって支配されることとなった。
 (前掲、林論文)

 結局「哲学」を教えていた教養課程側にその教養自体の存在意義についてのメタな「哲学」がなかった、あるいはそれを主張し伝えることができなかった…ということが言えるのかもしれません。


 しかしそこにのみ責任を求めるのは酷というもの。「大衆化社会に適応した高等教育システム(小笠原)」という改革のスローガン自体が、暗黙裡にリベラル・アーツの再考(というか…いらないんじゃない? みたいな考え)をどこかに持ち、それが審議会から文部省、大学から専門教員のあたりまでの頭に浸透していったという背景があるように感ますし…。
 (とりあえず今は何も結論めいたことも言えませんので、メモ書き程度に残しておきます。)