憂いの虫

ちょこ

 漢の武帝が甘泉宮へ行こうとする道すがら、色が赤く、頭、目、牙、歯がそれぞれついている虫を見かけたが、だれも何という虫かしらなかった。武帝はそこで東方朔を見にやらせたところ、朔は帰ってきて報告した。
「あれは『怪哉』というものです。むかし、秦の時代に、罪もない人間たちが官憲につかまえられ、牢につながれたので、民衆たちは悲しみうらみ、みな天を仰いで嘆息しながら、『けしからぬことだ。けしからぬことだ』と言いました。それが天を感動させ、怒りがつもってこの虫が生みだされたのです。ですから『怪哉』と名づけております。この土地はきっと秦の牢屋のあったところにちがいありません」
 さっそく地図にてらしあわせてみると、たしかに秦の牢獄のあとであった。帝がまた、
「どうやって虫を退治しようか」
 ときくと、朔は、
「およそ憂いというものは、酒を飲めば解けるものです。酒をそそぎかけてやれば、きっと消えてしまうでしょう」
 と言った。そこで人をやって虫を持ってこさせ、酒の中にいれると、すぐに融けてしまった。
(「小説」(梁)殷芸、『幽明録・遊仙窟 他』平凡社東洋文庫43)

 三国時代の魏の後を受けた西晉東晉そして南北朝と続く六朝時代の、梁王朝(502-556)の時代の「小説」です。ここに登場する東方朔は漢の人。「文辞に長じ、武帝の侍中として滑稽の才をもって暗に帝の言動を諫めた」と言われています。秀吉にとってのお伽衆、曽呂利新左衛門のような人ですね。人並みはずれた博識の知恵者として、後世には様々な頓知話・怪異譚の登場人物として描かれています。


 それにしても憂いの虫をも融かしてしまうお酒とは、すごい力を秘めたものです(笑)


 漢の『食貨志』に曰く「酒は百薬の長」。そして魏の曹操は『短歌行』で「何を以て憂いを解かん、惟(ただ)杜康*1あるのみ」と歌っています。
 もちろん過ぎればマイナスも多く、曹操の息子曹植も『酒譜』で「荒淫之源」としておりますし、他に「狂薬」(『晋書』裴楷伝)、「禍泉」(『清異緑』)、「迷魂湯」(『堅瓠集』)などという悪い異名も持っております。私としましては「掃愁帚」とか、「忘憂」(陶淵明『飲酒其七』)の方を取りたいものですが。


 貝原益軒(1630-1714)の『養生訓』にも、「酒を飲むは、その温気をかりて、陽気を助け、食滞をめぐらさんがため也」とありますし、今日はお薬のつもりで…。

 月花もなくて酒のむ独り哉  (芭蕉

*1:お酒のこと