macskaさんの捉えている差別

 macska dot orgより
 差別についての、ごく基本的な考え

 「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理


 先日からの「差別」に関わるいろいろな議論の中で、話題の端っこの方で私はid:macskaさんにコメントと記事(20日21日)で質問させていただいていたのですが、冒頭にリンクしたmacskaさんの二つのエントリーで彼女の基本的な立ち位置、姿勢はよくご説明していただけたと思います。これはきちんとした立場表明になっていますし、潔く社会構造に関わった問題からに限って差別問題に関わろうとされる態度表明はクリアで不足のないものであろうと理解いたしました。



 蛇足にもなりますが、こちらでいくつかコメントを…
 macskaさんが書かれたこの文を最初に読んでいれば思いつき難かったことかもしれませんが、先の文とあわせて考えますと、ここにはやはり「どこに問題を捉えるか」という点が難題として残っているように思われます。「社会構造と共鳴し循環するようなかたちで不平等」があると捉えられる「社会的属性」をどれとどれに置くのかという点です。
 むしろ明々白々に認められているようなもの(対象)はいいのですが、今現在問題視されていないもの、あるいはこれから声があがってくるものについてはコンセンサスの形成から為されなければなりません。どれが差別かを認定するのがそれほど楽な作業とは思えないのです。
 たとえばこれは私が以前紹介したものなのですが、八重山毎日新聞社の記事です。

 市民会館使用許可で抗議/自衛隊音楽会で九条の会


九条の会やえやま」の森田孫榮共同代表らメンバー6人は28日夕、石垣市役所で大浜長照市長に会い、自衛隊が来月10日に開く音楽会のために市民会館の使用を許可したことに抗議し、今後、市の施設などを自衛隊に使用させないよう要請した。 (以下略)

 これは私には差別に思えてなりません。自衛隊イラク派遣を個々人がどう思おうがそれは別の次元の話。「今後、市の施設などを自衛隊に使用させない」でと要請する人たちは、あからさまに法を、そして日本国憲法を蔑ろにしているとしか思えません。(第一四条第一項「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」)
 おそらくmacskaさんの捉え方からいえばこれは差別的行為であって差別ではないということにもなろうかと思いますが、もしここで自衛隊の人たちが差別だと声を挙げたならば、それは差別でないよなどとどう説得できるでしょう。これは侮蔑ではなくやはり「差別」であって、いかに境遇が恵まれているように見えても人はそういうものに深く傷つくものだと思います。ですから、現行、社会に通用している「差別」の用法はmacskaさんのそれよりも広く、そしてやはりその定義は問題意識を同じくする人の間でのみ非常に有効(裏を返せば問題意識が違う人とは共闘し難いもの)なのではないかとも見えるんです。


 また、どれが差別にあたるかというコンセンサスが取れたとしても、その認定はいわゆる平等という建前を崩した「卑下される弱者としての認定」にもなりかねない点が危惧されます。当該の「社会的属性」をお持ちの方でも、そう言って欲しくない・扱われたくないという人たちはでてくるようにも思いますし、一つの可能性として「誰も強く騒がなかったため何となく解消した」というケースが成立しなくなるんです(これを書いているとき私の頭には「沖縄人差別」があります。表立って社会問題化しなかったのですが、今これがあるとも思えません)。


 最後にもう一点挙げれば、macskaさんは、その問題解決に関わろうとする差別を一つの社会システム内の問題に限定されているように見えます。そしておそらくそれは社会システム間の差別、国家間の民族主義レイシズムを射程に入れておられないのでしょう(それが国内化すれば扱う射程に入るのですが)。もちろんなし得ることから改善を始めるという姿勢に傍でとやかくいうことはありません。ですが一緒に問題にあたる人を募る際には、この限定を理解してもらうのはなかなか面倒なのではないかと感じました。


 敢えていくつか問題かなと思ったところを書かせていただきましたが、基本的にはお書きになったものは勉強になりましたし興味深いものでした。この筋で活動なさるのをとやかくいうものではありませんし、頑張ってくださいとだけ…
 私自身の関心は、macskaさんの社会問題としての差別と対照的に個人の内面に関わるものに偏っているのかもしれません。そういう点ではかみ合わないところもあろうかと思いますが、こういう機会があってよかったと感じております。