(書評)W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相(上・下)』(岩波書店、1970年)
前世紀初頭にかけての唯物的合理主義・科学主義が台頭する思想潮流の中で、非合理なるものの価値を再評価しつつ人間心理を探求し、独自の哲学・宗教観を構築した思想家にウィリアム・ジェイムズがいる。彼は人間から離れた「客観的」な主知主義的実在概念の在り方を批判する。彼が捉えた真理の実在性(reality)は一元的で静的なものではなく、人間との関りにおいてはじめて意味をなす多元的なものであった。彼はプラグマティストと称されるがそれは単純な実用主義などではなく、具体的人間経験の真の構造を探求する、フッサール現象学や日本の西田哲学の先駆ともいえる新しい哲学だったのである。
『宗教的経験の諸相』は、エディンバラ大学での自然宗教に関する講義を基にした彼の主著の一つ。本書では人間の宗教的欲求のあり方が、豊富な文献事例を基に、彼が個人的宗教経験と呼ぶ宗教の心理学的側面において探求されている。
彼はまず存在命題「その起源・本質は何か」と価値命題「その意義は何か」とを分けて考える立場を宣し、前者の射程である起源論等に還元して宗教を評価することの誤りを言う。そして「その根によらず、果実によって」宗教および宗教経験を捉えていくのである。
宗教的生活の果実として挙げられるのは、「祈り」(神的なものとの内面的交わり)によってもたらされる人間的な愛・心の平静・不屈の精神などの主観的効用であり、その「効用こそが宗教の真理性の論拠」とされる。
これらは宗教的事象の心理学的事実への還元ではない。彼の議論の眼目は、生きた宗教の核心や真理の実在性を人間経験に即したところで捉えるところにこそある。
ジェイムズの実在観・真理観は、静的・客観的で絶対的な真理を人間の外に立てることを拒絶する。そしてそれは、多元的真理の共存を相対主義に陥ることなく図る可能性を有する思想として、今なおわれわれに重要な示唆を与え続けている。 (794字)
○ジェイムズ(William James, 1842-1910)の著作を訳本で入手するのは現在困難である。『宗教的経験の諸相』(日本教文社版もしくは岩波文庫版)、『世界の名著48パース、ジェイムズ、デューイ』(中央公論社)は図書館利用が適当。『根本的経験論』(白水社イデー選書)のみ現在も購入可能。Harvard University PressのThe Works of William James(1975-)や、単著ならばDover PublishersのPragmatism(1995)を手に入れることも考慮に値する。
(※わんこ再会記念!某所に書いた書評の原稿を転載します。ま、一応こういう人という紹介の意味で…)