メタ教育

 あまり他人事議論ばかりでも何ですので、一つ道徳教育(名称は何でもいいです)に提言をしてみます。今これは絶対に必要だというもの、それはメタ教育の重視です。

 初等教育の時期は「教育を受けることを学ぶ(教育される)」というメタな構造を内部に持っています。そこではまず家族を離れた集団に馴染み、基本的な社会性をつけ、指導者を信頼し、そこから学ぶという基本姿勢・態度を習得するようになっているのです。私はこの「メタ教育」の側面が蔑ろにされていることが現状の問題を生んでいるように思えます。それを担うべき家庭と学校の両者は、あまりにもそれに無自覚です。
(メタ教育を考えてみる

 というようなことを一昨年に何度か書いておりました。ちょうど、フランスの改革された公民教育でも「学校の意味、教師を尊重することの意味を示すこと。また、学校での生活規則、礼儀作法、自己と他者の尊重など社会化を目的とすること」というのが初等教育の目標となっていることと重なるような気がします。

 親から学ぶ、共同体の先輩から学ぶ、そういった身近な場で知識や技術を習得するというのはおそらく人間の歴史の始まりからあったことだと思います。それに比べ学校教育というのはとても人工的な環境ですし、とにかくそこに放り込めば皆うまくやれるなどという期待はできないところでしょう。 比較的早く馴れることのできる者から、なかなか馴染めない者までいろいろ出て当然です。だからこそなるべく多くの子供がこれに馴れるためには、意図的にメタ教育を受ける必要があると思います。そしてその機能を担うのが幼稚園であり、小学校という初等教育であると考えます。
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 中等教育以降は…「知識の伝達」の面があらわになってきますが、「学校という場で教育を受けるための教育」をしっかり受けていない子供にとっては、それだけ大きなストレスがかかるのではないでしょうか。
(メタ教育についての補遺


 大人になってから「権威は張子の虎」と思う分には構わないんですが、子供にそれを示しすぎるのはどうかとも思うんです。学校側も気張らなければなりませんが、教育のためには権威の部分を再考すべきではないでしょうか。それこそ親も学校も社会も、一緒にこのメタ教育の部分を考えていかないと「教育」自体が皆の享受できるものではなくなりますよ、きっと。


 教師の人間性に問題がある時はどうなるんだとか、権威に盲従する子供ができるんじゃないかとか、愚民化だとか、いろいろ反論も聞えてきそうなものですが、そうお考え(かもしれない)方ご自身が「たいしたことのない教師」「威張るだけの権威」「利己的な社会」に出会いつつもこういう反論ができるだけの知見を得られたと考えてみれば、ちょっと真剣に取り組む価値はあると思うのですが…