大学での留年について

 以前に、大学を考える上で「工場モデル」から「顧客モデル」に変わってきたというようなことを書いておりました(過去日記)。でもこの留年ということが象徴するのは、やはりサービス提供という側面だけで大学が語られるものではない、ということではないかと思います。留年制度があるのは、単位認定機関としての大学に権威が認められているからです。
 そしてその権威があるからこそ「客」としての学生が来るという構造もあるのでしょう。これは大学の設置を国が基準を定めて認めている制度のためでもあります。いかなる大学もそこで一定の権威付けを受けているのです。なぜアメリカにおけるデグリー・ミルといったような*1教育産業が日本に出現しないかという一つの理由でもあります。
 かといって大学がその権威などに胡坐をかいていられる時代でもありません。少子化という契機がなくても、ちょうど医療がパターナリズム的「医師>患者」のモデルから「医療サービス提供者―顧客(消費者)」という形に近づきつつあるように、いずれ従来の認識ではたちいかないようになっていったと思います。そして…
 という具合に書いていこうと思っておりました。でも聞えてくる某准教授の噂はいささか聞くに堪えない感じです。個人のバッシングをする気もありませんし、この話題からは少し離れたいと考えております。