それはわからない

 ある高名な人類学者(?)が、言葉も通じない初めていく調査地では誰かに話しかけたりする前に地面に奇妙な落書きをすることを常としていた…という伝説のような話があります。奇怪な落書きを見た現地の子供などがそれを見て「○※▼◇…」と話しかけてくれば、その「○※▼◇…」が「これは何?」と言っていると推量できるからだそうで、その後はその「○※▼◇…」という言葉を使ってモノの名前の蒐集などをしたと話は続きます。
 いかにもありそうな話ですし、頭がいいなあとちょっと感心したりしてました。
 でも、これはちょっとできすぎの感があります。

 ある東北の高校生たちが京都へ修学旅行に行った
 宿泊先でおかみが出てきて
 「おこしやす」
 と挨拶してきた
 修学旅行生たちは声をそろえて
 「おこしやす」
 と挨拶を返した…

 「おこしやす(ようこそいらっしゃいました)」が、おはよう、こんにちは、さようならのような対称性のある挨拶ではなかったというのがポイントですね。気づかずに似たような間違いを犯す時もあります。たとえば「ご苦労様」と声を掛けられて、「ご苦労様」と返してしまえばそれは誤り(参照)。新社会人の方はよく注意しましょう。


 さて「○※▼◇…」の件ですが、ちょうど逆の「伝説」でカンガルーの名称の由来というのがあります。

 西洋人がカンガルーを指して「あの動物は何と言うのか」と訊いたところ、現地人は(外国語では何を言いたいのか)「わからない」という意味で「カンガルー」と答え、これがこの動物の通称となった、という有名な逸話は、中学の英語の教科書にも載ったことがあるが、俗説である。
日本語版Wikipedia カンガルー

 コミュニケーションの難しさはちゃんと理解されていて、だからこそこういう話が「ありがちな話」として広まった…といったところでしょうか。


 相手の言葉が同じ日本語で、当たり前にわかるはず・わかっているはずだと思っていても、何度も何度も遣り取りをした後で「そういうことを言っていたのか」とやっと理解することもあります。
 まあ「真意」なんてほんとは自分でもわからないんじゃないでしょうか?