島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』

 東大宗教学の柳川啓一門下の兄弟弟子で、院生時代も重なる二人が*1、どうしてこういう論争(といいますか、島田氏による一方的な断罪にも見えるのですが)をしなければならなかったのかということに興味を持ち、表題の書籍を購入して読みました。(亜紀書房、2007年、1700円)
 別に読む前に「爽やかさ」を期待していたわけではないのですが、読めば読むほどぬるく重い感じを受けてしまいました。これは学術書ではもちろんなく、最初はちょっとした事実を悪いほうへ悪いほうへ捉えていったらこうもあろうかという、そういう不確かな告発本でしかないのではと思えました。
 ただ最後まで読んで、それ以外の側面として感じたものがあります。
 それは、この本がオウム事件にけりをつけたがっている島田氏の弁明の書であり、そのためにも中沢氏に何か語って欲しいという挑発の書としての在り方です。むしろこう杜撰に責めることによって(粗がありますから)何か彼が反論してくれるのではないかという期待を込めた本なのかもしれないと思えました。

大まかな内容*2

 本書の第一章「一番弟子の困惑」では、麻原の一番弟子上祐史浩の言葉など中沢とオウム真理教のつながりというものを複数の側面から挙げ、中沢が語らなければオウム真理教事件の大事な部分がわからぬままになるという点で中沢に発言を求める姿勢を明らかにします。
 第二章「サリン事件の本当の意味」では、中沢が「麻原同和出身」説、「江川紹子統一教会」説のような悪質なデマをいくつも流したという告発と、中沢が破壊からの再生という願望を持つという推測から、実はオウム真理教が目指した大量破壊はその中沢の考えるものと一致するのではないかということが語られます。
 第三章「『虹の階梯』の影響と問題点」では、

第一章で触れた『憲法九条を世界遺産に』における太田光との対談に示されているように、中沢は、自らの書物や思想がオウム真理教に対して、さらにはオウム真理教が引き起こした事件に対して強い影響力を発揮したことを認めている。その際に決定的な役割を果たしたのが、『虹の階梯』という書物であった。(p.109)

として、同書によってイメージを与えられた信者が、麻原によって具体的修行法を与えられたという点を指摘し、それはたまたまなのか意図的なものかと問います。
 その問いを考察するため、中沢の政治意識を検証するのが第四章「コミュニストの子として」です(ただ、ここで中沢自身がコミュニストであるとかいうことは検証されておりません)。またそれは第五章「テロを正当化する思想」で、「弱者の究極的な抵抗としてのテロを容認する中沢像」というもので描かれます。
 そして最後に、第六章「宗教学者としての責任」で

 オウム真理教の事件は、宗教が深くかかわった大規模なテロであり、同時多発テロをはじめ、その後に世界各地で続発したテロ事件の先駆をなす重要な出来事であった。いったいなぜ、そうした事件が現代の日本で起らなければならなかったのか。その謎を解明することは、日本人に課せられた重大な課題であり、とくに宗教学の研究者にとっては避けて通ることのできない問題である。(pp.253-254)

とまとめ、「中沢は、オウム真理教の事件について語る責任を果たさなければならないのである」としめられるのです。


 告発本としてはあまりにも推測や予断が多すぎます。センセーショナルではありますが、それほど内容があるものでもありません。(ただし、島田氏が四方田犬彦氏から聞いた中沢氏のデマなどの部分では、それなりに反論しなければ中沢氏の行動に疑念が湧くことでしょう)
 やっぱりこれは「出て来てくれ。語ってくれ」と島田氏が中沢氏を挑発している本なのだと思います。


 私は、本文中で次のように言われているところが、お二人のこの事件への関わりやこうした論争に一番影響したのではないかと思えました。

 中沢のなかには、宗教学者としての彼と宗教家としての彼とが共存している(p.83)
 (強調部>原文傍点)

 そして

 私は、オウム真理教という集団を通して現代の社会に生きる若い世代がどのような状況におかれているのかが見えてくるのではないかと考え、そこから彼らに関心を抱いた。その点で、私は主に社会学的な観点からオウム真理教をとらえようとしてきた。(p.84)

 この資質の違いが、今の二人の関係をうむ元になっているのだろうと本当に思えますね。


 最後に、自分としてちょっと興味がある類の中沢氏の弁明の言葉がありましたので、それを引きます。

広告批評』誌の座談会では*3オウム真理教の事件について「個人的にものすごく責任を感じている」と言い、二度目に麻原と会った際、これはオウム真理教が総選挙に出馬した後になるが、被害者意識を強くもつようになっていて、「教団はもうダメだと思って、付き合うのをやめてしまった」のは間違いで、麻原の「高いプライドを突き崩し、彼を狭い密教の体験から解放してやる」べきだったと述べている。そして、「僕は自分がやらなかったことの責任を、ひしひしと感じずにはいられないんですね。だから、僕にとってこの事件は、評論家のようにのんきな分析をしてすませられる種類のものではない」と語っていた。(p.73)

 中沢氏が「不作為を悔いる」と語るのは、一種のポーズにも見えてしまいます。本当は何をやったのか(作為)こそ島田氏が求める答えなのです。おそらくこれに中沢氏が答えることも無いのかなと感じつつ、少しだけ期待もあります。

あれま

 まいったなぁと思いました。アップした後に見たら何と「極東ブログ」で同じ本を取り上げてました。あちらを先に読んでいたら恥ずかしくてこれは出せなかったかも。まあ仕方ありません。今朝から読んで、読んだ直後の感想です。一つの見方ぐらいの意味はあるでしょうし。

*1:中沢氏が博士課程の時、島田氏は修士課程

*2:ここでは敬称略で

*3:オウム事件とは何だったのか(橋爪大三郎・布施英利・山崎哲との座談)」『広告批評』184号、1995年6月号