うたがいのつかいみち

 福音館書店の児童雑誌に、月刊『たくさんのふしぎ』というものがあります。対象は小学校中学年あたりですが「絵を中心に見ると、低学年生にも楽しめ、文や絵の内容を深く読みこめば、高学年生も楽しめます」とされています。
 見開きページの片側が全部文字(総ルビ)というページもありますが、少し文字が多い絵本といったところでしょうか。紙質も悪くなく、解説を除いて40ページといったところの雑誌です。


 この『たくさんのふしぎ』の1993年11月号(第104号)は「うたがいのつかいみち」という号になっていまして、作者(文)は東北大学清水哲郎氏(絵は飯野和好氏)で、哲学的思考に触れてみるといった内容になっています。
 (参考)清水哲郎氏のサイト:哲学する諸現場


 まずこの本ではゴフムさんという人が登場し、次のような看板を出して町の人を誘います

「うたがいの名人ゴフムよりのお知らせ
みなさんがあたりまえだと思っていることを、うたがってみせます。
うたがいを見事といた人には、1000タラル進呈。
ただし、答えにつまったら、10タラルいただきます」

 こうして町の人はゴフムさんのところに集まり議論を交わすのですが、「ゴフムさんの机の上には、10タラル金貨が山とつまれた」ということになります。哲学は当たり前だと思っていることを疑うところから始まる。そういうことがここで描かれるのです。へぇそんなことまで疑えるのかと興味を引かれる子もいるかもしれません。


 そこへ登場するのがソルテスさんです。この「ひとりの年より」がゴフムさんの懐疑を論駁して、疑いを通り抜けたところの共通認識の世界へ読者を連れ戻すというのが全体の筋立てになっています。スクラップ&スクラップでは「世の中に確実なことなど何もないんじゃないか」という懐疑の中に読者を放り込んだままになってしまいますので、スクラップ&ビルド。もう一度世界を構築してみせるというのが必要だと清水氏が考えられたんですね。
 そこでゴフムさんやソルテスさんが使う哲学的思惟は、西洋哲学のいくつかの内容を噛み砕いてわかり易くしたものです。たとえば「…自分自身について、『ほんとはいないのではないか』ってうたがうことはできないじゃろ。『わたしはいるのか』って思ったら、その思ったことが『わたしはいる』って答えになるんじゃからな」などと語るソルテスさんの言葉は、デカルトの思索をなぞっていますね。


 さてこの本で語られるもう一つの懐疑を紹介しましょう。それはゴフムさんによって次のように問われます。

 みんなは、世界はずうっとむかしからある、と言っているが、そんなことはとってもうたがわしい。もしかしたら、この世界は、おれが生まれる5分前にはじまったのかもしれない。そうじゃないっていう証拠はないのだからな。……うん、そうだ。『世界は、おれが生まれる5分前にできた』と言いはってみよう。だれか、おれのこの主張がまちがっていて、世界はもっとずうっと前からあるんだ、と言えるかな

 どこかで聞いた疑いだと思いませんか。ハルヒシリーズの中で古泉君が同じようなことを言っていましたね。


 この疑いに対して、考古学者は化石を持ってきて「これが大昔に動物がいた証拠です」と提示しました。
 ゴフムさんは「おれが生まれる5分前に化石も、化石が見つかる地層もみんな一緒にできたのさ」と言います。
 ゴフムさんのお母さんがやってきて「お前が生まれる5分前よりずっと前のことも私は知っているよ」といいました。
 ゴフムさんは「母さんもほかの人たちも、おれが生まれる5分前に、そういう記憶をはじめからもってパッと出てきたのさ」と言います。


 さて、このゴフムさんの懐疑に対してソルテスさんはどう答えたでしょう?


 答えはいずれ…ということで、最後に題名の由来ともなったソルテスさんの言葉を一言。

「ゴフムさんや、うたがいのつかいみちというものを考えなされや。自分が知らないことを知らないと知るためにうたがいなされ。ひとをこまらせてよろこんだり、いばったりしている自分を、これでいいのかって、うたがってみないとな」