ある前置き

 私はエッセイとかブログの記事とかの面白さの一つは、今まで考えたことのなかったもの同士の組み合わせの妙味にあると感じています。あれとこれ、ほとんどの人がおそらく考えてもいなかったものが組み合わせられて、それが人生とか恋愛とか病気とか政治とか人間とか犬とか猫とか様々なものの新しい側面を見せてくれる。その新たな観点が開けてくる驚き・喜びが人を惹きつけるのだろうと思うのです*1
 もちろんそこには単純化・抽象化が必要となります。今まで他の人が気付き難かった比較というものなのですから、かなりいろいろなところを削ぎ落としてその上で組み合わせなければならなくなります。時には過度の単純化もあるでしょうし、的外れの抽象化だってあるかもしれません。現実は複雑だ、そんな簡単なものではない…と言われることもあるでしょう。
 そう、確かに「現実は複雑」なんです。ただその複雑さの責は「事象としての世界」に求めることはできません。それはもともとシンプルにそこにあるものです。その世界のどこを(何を)切り取って「意味」を見るか、すなわちそれが私たち個々人の「現実」なのであって、世界のどこをどう切り取っても意味が見出せてしまうがゆえに「現実は複雑」なのです。


 まあその単純化とか組み合わせが他の人の共感を得るものかどうかも大きな課題なんですが。誰かが頷いてくれるかどうかです。自分でウケていれば他の人はどうでもいいというのであれば、それは公開する必要はなくなります。それに近い覚悟はあっても、どこかでこの話に頷いてくれる人がいるのではないかというささやかな期待があるからこそ公開されているのでしょうし。


 その単純化・抽象化は違うよ、その組み合わせはおかしいよという意見の多くは、もともとのそれぞれの「現実」がかなり離れているということに起因するのでしょう。しかしそれは離れているからこそ近づける意味を多く持っているということでもありますし、どんなに自分にとってあり得ない意見でもそこに何らかの意義はあるということは言えるのではないかと思っています。

*1:もちろんその面白さのすべてがこれで言えるわけではありません。為念