連帯責任を押し付けるとブーメラン

 今日昼までにチェックしたソーシャルブックマークの中では、これが一番気になりました
 木村幽囚記さんの「( *H*)y-~~自己分析する韓国人【韓国時事】」より
 VT銃撃事件で、韓国人留学生が犯人だったことに対する韓国社会の過剰な反応について、漢陽大史学科教授の林志弦氏が書いた評論です(原文韓国語)


逆説的にもこれ ‘集団的罪の思い’は事実上韓国社会が植民主義の過去と係わって日本社会に強要した論理でもある. 個別行為者の具体的行動ではなくどの民族に属しているかを基準で人間と歴史を裁断する民族主義の論理がブーメランになって自虐の論理で戻ったのだ.


ひとりひとりの具体的行為とかかわらず日本民族全体に植民主義の責任を問う ‘集団的有罪’の論理は, すべての日本人を一つで縛ることで, 単一な日本国民を作るという日本右派の目標に反射的に寄与して来た. 他の一方でその論理は日本民族=植民主義の加害者=‘集団的有罪’ 対(対) 韓国民族=植民主義の被害者=‘集団的無罪’という対立項を上程する. ‘洋子話’に対する韓国社会の神経質的反応でもよく現われたように, この図式的二分法は植民主義の被害者である韓国人も加害者になることができるという可能性を拒否する.

 (関連)→ 昨日のエントリーをあげた理由(責任論関係)