「主体思想」は宗教とするよりも…

 個人的には、北朝鮮主体思想による枠組みは「宗教」とするよりも、まず「カルト」と認識すべきかと思っています。

 カルトとは数名以上のグループの動き方の一つを指すもので、集団で閉鎖に向かい、その中の個人は健全な識別能力や批判能力を失っている。


 だからカルトとは必ずしも「宗教」とは限らない。


 そもそも人間がグループを組んで、外界との接触を断ったり、外部に発することのできる社会的課題を与えられないでいると、新陳代謝を失って、カルトに向かう傾向がある。(中略)閉鎖されたグループは、カリスマ的なリーダーを作り出して依存するか、外部に仮想敵を作り出して攻撃に向かうか、内部でカップルをつくって安定するかなどのグループ反応を示す。


 このように閉鎖され、開かれた「生命原理」に反するグループは、一部のリーダーによって権力や金の獲得のために利用されることがある。それがカルト・ムーブメントで、宗教カルトはそのひとつの形にすぎない。(強調は引用者)
  竹下節子『カルトか宗教か』(文春新書073)

 おそらくさらなる世襲はうまくいかないように感じていますが、その崩壊まであと何年かかるのでしょう?
 北朝鮮に拉致された、日本を含む各国の被害者の方が一人でも多くお帰りになれるよう願ってやみません。