私たちの宗教状況について

 大上段にこの表題のような(大それた)ことを語るわけではありませんが、少しだけ昨日いただいたコメントに関して書いてみます。いただいたコメントはoguoguさんの

 私は、日本人のほとんどは神道の影響を受けていて、八百万の神を信じているか、否定できない人が多いと思うんです。神仏混合は、理解されないのでしょうね。

 というものです。おっしゃることはごもっともで、昨日の記事で挙げた「信者数による宗教ランキング」などで確言されている「神道 400万人」などの数字にいささか疑念もあろうということだと理解いたしております。日本の神道人口は本当はどのくらいなのか。それは仏教人口と重ならないのか。などなどの疑問は当然考えられるものだと思います。うちの実家も仏壇の上に神棚がありましたし、お墓参りされる方でも初詣に行かれるのはむしろ当たり前ですしね。


 たとえば神道の信者数といったものに関しまして、昨日挙げたAdherents.comではさまざまな文献資料などからリストアップしたデータベースを作っており、そこに記された各種概数から推計値を出しています。当然一つ一つの数字には議論も残りますが、Adherents.comは入手できる限りの統計的数値をとにかく集めて提示するというスタイルを持っており、その結果を解釈したり意味づけることはありません。どれだけここに信を置き、どう捉えるかは受け取る側に任せられています(詳しくはトップページのSome disclaimers and important points to keep in mindなどに…)。


 異なる宗教が接触し併存している状況、いわゆるシンクレティズム(重層信仰)というものはもちろん日本だけにあるものではありません。ただこのサイトのデータベースでのシンクレティズムへの考慮は、挙げられた一つ一つの元資料の作成者にかかっておりまして、たとえばほとんどそこへの配慮がなく宗教集団が自ら挙げた数字をそのまま使用するといったケースが多いのかもしれません。日本の新宗教の信者数にしましても、一時はすべての教団発表の数字を合計すれば日本の総人口を越えるといったことが言われておりましたし(笑)、概数としてもあるいは確度が低いかもしれません。ただAdherents.comの方々は、一つ一つの数値の信頼性はともかくこうして集計した順位が上下することはまずないだろうとお考えのようです。


 このシンクレティズムですが、ここにもいくつかの異なるタイプがあります。異なる複数の宗教が一つの新しい形に融合するもの、一つの支配的な宗教が多くの土着の信仰などを吸収するもの、そして葛藤が少なく複数の宗教が併存するものなどです。
 日本の宗教状況は三番目の形に近いと思われますが、修験道などは一番目の類型で捉えるとわかりやすいものでもあります。宗教民俗学の一つの成果として、堀一郎は『民間信仰』の中で日本の農村社会の信仰実体を一つの総体として捉え、そこに「同族的祖霊信仰に根ざす内包的な信仰と霊神霊仏の勧請、結縁という外延的な信仰の重層的・併存的な在り方」を見ました。現代日本社会ではその趣こそ違え、ある種同様の信仰の重層性というものが残っているように思います。


 ただこの議論は、それこそ堀氏のように「日本人の信仰の原質や原型」・「日本人のエトス」というものへ辿りつくことを目指す方向で進められるべきかどうかについては、私はちょっとネガティブです。こうした枠組での考究は我田引水的に申しますと「樹形図モデル」によるもので、ともすれば国学国家神道などのように、神道的なものに日本人(精神)の原型を求める試みになりかねません。
 むしろこれこそ「河川図モデル」の採用で、拠ってきた様々な信仰が重層的・並存的に現在どのように布置しているかという研究が、今求められているのではないかと思うのです。
 というようなことを、いただいたコメントから考えて見ました。宗教的寛容というものが切実に求められている状況の中で、私たちのこの「節操の無い」宗教状況はむしろ一つの希望になるんじゃないかとも思うのですが…。