いったい遥洋子氏は何が言いたいのか?

 「その自信、本物ですか? (遥洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」):NBonline」を読ませていただきました。私が鈍いのか、一読しただけでは彼女が何を言いたいのかよくわかりませんでした。この記事へのブクマコメントを見てもよくわからないというご意見は(書いていないだけかもしれませんが)なく、私の読み方が甘いのかなあと再読、三読しました。そしておぼろげに言いたいことがわかってきたような気がしましたが…


 遙氏のこのお話には「その人物の“自信”が本物の人」が出てきます。これは文中で言い換えられて「自力で捻り出した自信(を持ち)」「他者の評価では…揺らぎにくい」とされる人に当たるのでしょう。これに対比させられるのは「他人の評価で築いた(脆い)自信」を持つ人となると思いますが、この種の人たちに対して遙氏は「“立派”な人間」と(ちょっと皮肉を込めて)言っているように受け取れます。
 でもそれならば遙氏がメッセージを届けたい相手、「“立派”な人間になれず自己嫌悪で苦しんでいる人」が本物の自信を持つ人、自力で自信を捻り出した人にあたるのかと思えば、それは全然そうじゃないでしょう。むしろ遙氏はそういう「自信が持てない(自己嫌悪の)人」に「あなたはあなたでいいんだよ」というベタなメッセージを送って(自信を持たせて?)あげたいと思っているようなのですし。
 と読んできますと、ここには自信というものに絡んで三者がいます。他者の評価で自信を貰っている人、自分で本物の自信をつけた人、自信を持てない人です。二番目のタイプを遙氏は褒めたいようでもあり(それは判然とはしませんが)、少なくとも一番目のタイプを「楽屋に来た主婦」に比定し、遙氏はここに批判的であるのは明らかに思われます。
 それでは三番目のタイプの方を遙氏はどうしたいのか。「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってあげたいのでしょう?つまりは遙氏という「他者の評価」で「自信」を差し上げたいと言っているんじゃないですか?
 とすれば、遙氏は三番目のタイプを一番目のタイプにしたい(!)と言っていることになるのではないかと思われるのですが、それは全く矛盾したことですよね…。なんだかまたわからなくなってきます。*1


 この遙氏の話にはむやみに対照的な二項が登場します。通常論説文などにこうした対照が持ち込まれるのは、自分の言いたいことが読者によくわかるように単純な図式を提供するのが目的です。Aということが言いたい時にあえて非Aなるものを持ってきて対照し、自分がなぜAを主張するのかわかりやすくさせるのです。それゆえたとえば予備校では、論説文を読む時に対比されている二つの概念に傍線と記号を付けさせながら読ませて、一読した時点で色分けがなされるようにするテクニックなどを教えたりもするのです(時間の節約のため)。決して褒められた読書態度ではありませんが、良い論説文ほどピタッとこのテクニックが嵌るのは確かでした。


 さてその伝に倣って遙氏の文章を色分けしようとしても、これがあまりうまくいかないのです。まずいきなり冒頭で現れる「保守系か革新系か」の二者。読んでいけばこれが本筋の対照ではないのはわかります。ご自分を後者の一員であるとおっしゃっているのは確かですが、これは全体の読解的には無筋ですね。
 次に「常識派」というとっかかりになりそうな単語もありますが、これには対応がどこにもないようです。
 その後に出てくる「新しい見方を提示され…共感する人と反発する人」、これは手がかりになりそうです。ところがここでこういうキータームが出てきた直後に、「私の場合は、人生ひとりも悪くない、とか、介護から逃げたっていい、という主張だから後者の部類だ。」という文がポーンと挟まれます。さらっと読んできますとここでまず混乱が…。この「後者」というのは冒頭の「革新系」を指すようですから、読み手は再び最初の保革の対照に引き戻されるんです。ところがこの対照については「掛け捨て」で、流れはその「革新系」の話に「反発する人」の方にいきますから何だかよく構図がわからないといった具合になります。


 いちいち読み解くのが大変なので、キーワードで切り出してみます

「新しい見方を提示され…反発する人」の側
・夫婦が一番と思っている人や介護を真正面から背負ってきた人
・楽屋に現れた…客席にいた60代の主婦
・あなたは素晴らしい、と常々言ってもらわないと容易に壊れる脆弱な自己評価(の人)
・嫁の役割を引き受けた…貞淑な“出来た”嫁
・他者批判を一切許さない高圧的な女性
・そんな“立派”な人間
・立派な人
・すでにある価値観を再補強しその自尊心をくすぐる(ことを求める?)
・自分と異なる生き方や主張を持つ人間と対峙したときに憤怒の表情が露わになる(人)
・異論だけで、全人格を否定されたように立腹する人
・(遙氏におぞましく思われる)自分の自信だけは守りたい強欲さを持つ人間
・「僕は出世したくない」という部下に「だからダメなんだ」と怒りだす上司
・他人の評価で築いた脆い自信(を持つ人)
・すでに高い評価を受けて自信をつけた人
・“立派”なそちら
(・「保守系」の講演に親和的?)

 これに対比させられるのは次の立場であろうと思われます

「新しい見方を提示され…共感する人」の側
・自分と異なる生き方や主張を持つ人間と対峙したときにそれは分かる。「ほう・・・」と面白く聞ける(人)
・異論が面白い。それどころか、こちらを批判してみせろとまで言えるほど余裕がある(人)
・「あなたはここが矛盾している」という私の批判を、にこやかに「もっと聞かせてくれ」と言った人物
・「僕は出世したくない」という部下に「ほう・・・」と面白がる上司
・自力で捻り出した自信(他者の評価に揺らぎにくい自信)(を持つ人)
(・「革新系」の講演に親和的)

 ところがここに全く入らないように見える、しかも重要な第三項が存在します。

・そんな“立派”な人間になれず自己嫌悪で苦しんでいる人
・「あなたはあなたでいいんだよ」(という)恥ずかしいほどのメッセージ(をかけてあげたい人)
・主流派になれず苦しむ人
・会場にいるであろう、すでに自己嫌悪で生きている人
・日ごろ評価を受けていない人
(・「革新系」の講演に親和的)

 これらには関わりの無い「常識派」とかいういくつかの語もありますが、それは取り敢えず考慮に入れません。


 さてこうやってキーワードを並べて抜き出して整理して考えてみますと、遙氏が一番言いたいのは「自分(=革新系の人)の話に反発する人」を批判し、いえ本文中で「そういった生き方を“批判”したわけではない」と言っておられるので、そういう人を眼中に入れず(「許して欲しい」と言っていますし)、三番目の「自己嫌悪で苦しんでいる非主流派の人」に向けて自分は語りたいのだということのように思われてきました。
 二番目の分類の人たちは、あくまで最初の分類の人たちを批判したいがための(…批判じゃないんでしたっけ?)もとい、最初の分類の人たちの醜さを浮き立たせるための「ダシ」として提示しているんでしょうね。


 遙氏がいろいろお読みになって「対照」という手法をお使いになりたかったのはわかったような気がしますが、こういう風に対称軸を複数置いた文章というのはめちゃくちゃわかりにくいものです。しかもここでの第二項(ちゃんとした自信のある人)と第三項(自信のない人)の関係が全く描かれていませんので、三者のお話としての図式も全然立っていません。


 これを悪文と思われなかった方、なんとなく理解してしまわれた方は、第一項の、ほとんど具体的な描写がここに集中した「楽屋に現れた60代の主婦」のような人への悪態が受け容れ易かったということだけなのではないでしょうか?
 その悪意の勢いといったものは、確かに(妙な言い方ですが)評価できる文ではあろうと思います。それだけで「読ませる文」になっているのは凄い力技です。でも、その悪口だけで成り立つような文は私は好きではありませんし、この文がわかりにくいものだと感じる人が少なかった(?)のにはとても残念な感想を持ちました。


 さて遙氏は私のこの批判を、にこやかに「もっと聞かせてくれ」とおっしゃってくださるのでしょうか?

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 少々残念です。

*1:二番目の⇒一番目の に修正を加えました