慈母と厳父

 長久手の立て籠もり事件で、犯人の命を尊重することを評価する人たちは「権力」に慈母を求めていて、射殺も辞さずでやって欲しかった人たちはそこに厳父を求めていたのかなあとちょっと思いました。もちろんケースバイケースでもありましょうが…
 そういうわけ方で考えれば、3歳の子を「ゆりかご」に捨てていった父親に「罰」は当然あるべきと考えた私は、そこで厳父を望んでいたのかもしれません。父母イメージは、自分と関係があることを前提にしている点で国や権力のイメージとも重なるように思います。それだけに愛憎が振れるという側面は否めませんね。