カウンセリングの怪しさをちょっと考えてみませんか

 学生たちへのわたしの質問は次のとおりであった。「心理学的カウンセリングとはどのようなものだと思うか、イメージをふくめて答えてください」。
 回答のなかでもっとも多かったものは、「カウンセリングとは、適切な指導や助言をしてくれるものだと考え、そう期待している」というたぐいの表現であった。そのいくつかを拾えば、やさしく助言してくれる、つまずいたときにサポートしてもらう、よいヒント・アドバイスをくれる、導いてくれる、進むべき方向を指し示す、必要な情報を与えてくれる、などである。「くれる」という言葉の多用が目立った。

 id:NOV1975さんがnovtan別館で「臨床心理士とかカウンセラーとか」の方面の話題を出されていましたが、その時に思い出していた本があります。小沢牧子さんの『「心の専門家」はいらない』洋泉社新書y057、です。この引用は同書からのもので、彼女が1996年の5月に受講する学生にアンケートを取った内容が紹介されています。

「なぜカウンセリングを必要だと感じているか」とたずねるとしばしば、「わたしは友だちがいるからカウンセリングは必要ないけれど、誰も相談する相手がいない人にとっては必要だと思う」という答えが返る。「そういう人を誰か知っているか」とさらにたずねると、「わたしは知らないが、きっとどこかにいると思う」という答えが、これまた十人が十人から返るのだ。たぶん「どこかにいる人」は、「万が一そうなってしまった自分」のことなのだろう。

 小沢氏は臨床心理学論(<御自分で言っています)の専門で、自身が長く臨床心理学の畑におられたのですが、臨床心理学の問題点を考えてこられた彼女は臨床心理士の制度が日本臨床心理学会によって進められるあたりで袂を別ち、93年に日本社会臨床学会を作って活動されています(現在70歳になられるはず)。

 若い世代がカウンセリングを求める要因はもうひとつある。それは、悩みがあればそれを即座に解決したいという強い願望である。時間をかけ、時間にゆだねてものごとの展開を待つという考え方を受け入れにくい。のどがかわけば水道のあるところに着くまで我慢するのが当たり前だった時代では、いまはない。…欲望の即座の満足、それが当たり前の時代だ。また、わからないことがあればマニュアルが用意されている。それがサービスの基本ということになっている。「心の悩み」すなわち生きる悩みも、即座に解決できなければおかしい。

 ある学生は、「悩みの解決についての記号が必要です」と述べた。かつて悩みの解決への方法は、時間をかけて考えることであり、生き方の見えているまわりの人のなかに相談相手を探し、時の力を借りることであったが、いま人びとは問題に手早く決着をつけるための助言または指導そして記号を、「心の専門家」に期待しているように思われる。

 この本は臨床心理士にネガティブな立場の(しかも専門家という)方が書かれているというところで非常に興味深いものでした。何も新書一冊でそれを全否定できるものではありませんが、疑問点や問題点を意識してみるには適当な本だと思います。

 ところでカウンセリングは、若者たちが思い描いているような、手っとり早い助言や意見を率直に提供するわけではない。問題解決に関するさまざまな情報を提供することが本業というわけでもない。流派による手法の違いは一定程度あっても、日本におけるカウンセリング手法は、相談に訪れる人を、本人の言語表現を通じて「自己決定」に導くという手法が主流である。

 臨床心理学は、心理テストを中心とする心理査定と、心理治療・カウンセリングとを二本柱にしているものです。小沢さんは、そのどちらにも密かに「権威・権力関係」が忍び込んでいて、どこかうさんくさいものになっているのではないかと考えるようになられたのです。

 しかしどう決定してもよいわけではない。単純に図式化してしまえば、暗黙のうちに望まれている自己決定をする必要がある。カウンセリング場面は、迷える相談者と「正しい専門家」の人間関係でできている。それは当然ながら権威と依存の上下関係である。
 専門家の側はあまり意識したがらないことだが、相談者の側は「どう話せばこの人に喜ばれるのだろう、どういう自分になれば気に入られるのだろう」と、どこかで配慮して話していることが多いものだ。そして人と人との関係であるからには、カウンセラーの声の調子や表情に、意向が現れるのは自然なことである。やさしい権力関係の構図自体が、相談者に「望まれる自己決定」を導き出すのだ。

 そして、彼女は「心の時代」とばかりに90年代以降の日本でカウンセリングが大流行になってきたのは大丈夫なのかという疑問を持たれています。そこに何かおかしな思い込みや隠れた傲慢さがあるように見えておられるのだと思います。この本の帯には

 「心のケア」「心の教育」? どこかうさんくさくないか。
 あらゆることを個人の内面の問題にしてしまう心理至上主義を撃つ

 と勇ましい惹句が付けられていますが、最近「あらゆることを社会の制度問題にしてしまう」ことや「あらゆることを個人の責任問題にしてしまう」ことのどちらもだめだなあと思ってきている私にとっては、非常におもしろく考えるヒントになる本でした。
 心理療法に興味がある方、カウンセラー志望の方にも、一度読んでいただきたい本だと思っています。