いらいら(させ)型の主人公

 今期の新作アニメの主人公で、実際に存在したらすごく傍らをいらいらさせかねないであろう態度の子が二人。もちろん二人とも抱えているものがあるわけですが、どうにも何か見え方が違っていて、どうしてなんだろうと考えてみました。一人は「オレらのエースは暗くて卑屈」な三橋廉くん(『おおきく振りかぶって』)、もう一人は「半べそ女子高生」の麻井麦ちゃん(『ひとひら』)です。
 それぞれの物語は(強引にまとめると)「(中学の時に)ひいきでチームメイトに迷惑をかけたと思って人間関係がうまく作れなくなっているエースが甲子園を目指す」ものと、「緊張すると声も出なくなってしまうほどのあがり症の女のコが演劇に目ざめていこうとする」ものです。
 どちらの主人公も口籠ったり吃音を交えたりの喋りの演出。自分に自信がなく自虐ぎみだったり、うじうじいじいじして周囲の気持をつかめなかったり…。でも何か光るところも持っていて、ドラマ的にはそれがだんだん現れて自信をつけていくという成長物語のパターンに思われます。


 自意識過剰な思春期。でも決定的な自負心など持てるはずもなく、内向的にどこまでもいじけた考えにおちこみがち。実は私の中にもまだ三橋くんや麦ちゃんはいます。それだけに見ている側にはがゆい感じを持たせ、これは周りをイラつかせてしまう態度だろうなとも思わせるのです。
 ところがこの二人、タイプは似たようなものなのに、私にとっては作品を見ていてイラっとしながらも思わず応援したくなるのが三橋くんで、イライラがさらに増すように感じてしまうのが麦ちゃん、とまあ個人的にはそんな具合でした(見る人によって違うのでしょうけれども)。


 まず最初は、演出のテンポの違いかなと思ったんです。負の感情移入をしそうなタイプの主人公で成長物語を紡ぐものでは、適度に才能の片鱗を見せるとか段階的に自信がつくエピソードを混ぜて話の救いと今後への期待を持たせるのが常道。三橋くんでは「絶妙のコントロール」、麦ちゃんでは「ものすごく通る声」が隠された才能の片鱗なわけですが、前者では練習試合が第三話から始まり真価が少しずつ表現されているのに比べ、後者では第九話の最後の最後、上演本番でやっと「出た」という感じ。第一話で期待させたところのものが出てくるのが『ひとひら』は遅すぎ(引っ張りすぎ)だったから…とも思えました。


 でもどうもそれだけじゃないようで、『ひとひら』でその溜めに溜めた才能の発揮というやつが出ても何故か感動が少ないんです。のみならず「これまでやってきた半年(の苦労)は何だったの」みたいな言葉がこの九話で話されたんですが、え、半年経ってた?ぐらいの感じでした。何せ本気で演劇をやろうみたいな決意がきちんと出たのが第七話でしたし、第八話のエピソードも麦ちゃん以外のストーリー展開でしたからその「苦労」とか「努力」をほとんど受け取れなかったですね。彼女の成長物語以外の先輩たちの過去とか友情とかに比重がありすぎて、メインの話の展開が犠牲になってしまったのかもしれないとも考えられます。


 で、さらに思ったのですが、結局この主人公二人の「思い入れ」と「境遇」に全然差があり過ぎるのが(二人に感じる気持ちの違いの)一番の原因ではないかと…。『おお振り』の三橋くんは「野球が好き」で、「マウンドで投げるのが好きで」、それで人間関係をこじらせたのにも拘わらずその思い入れは変わっていないんですね。しかもそれゆえ負った対人関係の問題が、まさにここを通じて解決されなければならないというところが見ている側に伝わってきます。またおそらく三橋くんは野球がなければただの「おどおどびくびくしている」目立たない男の子に過ぎません。普通に友人関係を作るのにも苦労しそうなところがあります。だからこそ、その「こだわり」やそれしかない「才能」に頑張れと声をかけたくなるのでしょう。
 ところが『ひとひら』の側で表現される演劇に対する思い入れは、麦ちゃんのものではありません。また彼女は演劇をやらなくてもたぶん普通に生きて行ける(親友じみた子もいますし)のだと思えます。ちょっと度が過ぎてあがり症だとしても、演劇はその原因とも関係ありませんし演劇を通じた問題の解決じゃなくても…と思わせてしまっているのではないでしょうか。群像劇(あるいは二人主人公)と考えるには、(このアニメの作品としては)ちょっと厚みがなさすぎで難しいでしょう。普通の女の子としては視聴者に感情移入をより多くさせそうに思えて、その実なにも「特別に彼女じゃなくても」「特別に演劇じゃなくても」というあたりがマイナスに影響しているんじゃないかなと見えます。


 下手な過去のエピソードなんか長々とやるよりも、ちゃんとその時点時点での主人公の「必死さ」を描いていれば、当然感情移入もあるでしょうし期待やカタルシスも得られるんだと思います。何よりその一番大事なところで『ひとひら』は焦点がぼけているというか、はずしてしまっているんじゃないかなと思いました。あるいは原作はまた違うのかもしれませんが、今のところそういう感想を持っています。