自死という責任の取り方

 松岡農林水産大臣自死には驚きました。ただ第三者としての第一感は、初老の男性にみられる突発的な自殺、最近言われるようになってきた男性更年期の心身失調によるそれではないかというものでした(参考)。ご冥福を…。


 現在、45歳から65歳までが初老期とされています。62歳の松岡氏はまさにその中にいます。統計による中高年男性の自殺率は人口10万対で50以上。これは同年代の女性の三倍以上にのぼり、明らかに有意な多さを示しているとされます。資金管理団体の光熱水費の処理問題や緑資源機構の官製談合事件などの説明責任が問われてはいましたが、今の時点でそれだけで自死を選ぶというのはどうにも唐突過ぎるように思えました。
 これに絡んでは、夏の参院選が近づき、自民党内からも辞職を望む声が出てきていたというのが何より影響したのではないかなと個人的には感じます。「敵対する側」からの攻撃には強気に出られても、「友軍からの攻撃」にはもろいのが人情でしょう。つい最近、国会会期後の松岡氏への辞任を求める声がニュースになっておりましたし、後援者の方の自殺等もあって、突発的に心が折れてしまったというのはあり得る想像ではないかと思います。


 またこの件に関して一つ鍵となったのは、自死することにより責任を取る(取れる)という社会的な認識ではなかったでしょうか。江戸期の武士の切腹をはじめ、日本では「自ら死を選べばすべて許される」という発想がどこかに残っているのだと考えられます(参考:山本博文切腹 日本人の責任の取り方』光文社新書)。自分を取り巻く状況が袋小路に陥り、誰か身内にまで「迷惑」と思われていると感じた時、この認識があるからこそ自死を以ってすべてを清算しようとする男性が多く出るのではないかと私は個人的に考えてきました。
 石原都知事の昨日のインタビューでは次のような言葉がありました。

 何があったかわかりませんよ…死をもってつぐなったという意味では、彼もサムライだったなと…

 たとえこの発言が勘違いであったとしても、その勘違いが松岡氏にも共有されるものであったということが言えるように感じます。さらに、松岡氏の遺書の内容がようやく少し漏れ伝わって参りましたが、そのある意味定型の文言がこの推測をより確からしく見せてくれています。
松岡農相自殺:遺書に「迷惑かけた」

 …「国民の皆様 後援会の皆様」と題された同省のA4判の便せんには「私自身の不明不徳のいたすところで誠に申し訳ない。ご迷惑をかけておわび申し上げます」と記されていた。


追記(詳報)
 ◇国民の皆様 後援会の皆様

 私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。


 自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。


 なにとぞお許し下さいませ。
 残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。


 安倍総理 日本国万歳


 平成19年5月28日 松岡利勝


 ◇(発見者のために書かれたとみられるもの)
 家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。
 女房が来るまでは、どこにも触れないで下さい。

毎日新聞 2007年5月29日 15時00分)


 死を以って状況を清算するという選択肢は世界的にもまた歴史的にもあるものですが、その善悪は別にして、これが社会的に容認されているかどうかというところはキリスト教文化圏やイスラム教文化圏のかなりの部分とは大きく異なるところではないでしょうか(参考:イスラームと自殺)。
 そしてこの「死によって社会的・倫理的に贖える」という考え方(私ももちろんそこから自由ではありません)がある限り、日本から死刑制度が無くなるということもないんじゃないかなとふと思われたのでした。
 たとえ一人一人の考えが多様だとしても制度の存廃には多数の認識が最も影響し、その考えの中に「死による清算」「償えないものを死で償う」という認識がある以上、それは死刑制度を許容(あるいは支持)するものと考えられるからです…