妙な名前

 はてブにあがっていた「最近の子供の名前酷すぎるだろ・・・」(ダメ人間万歳-人生ロスタイム-より)を覗いて、

森鴎外の子供も凄い名前だよな
当時日本一のインテリにしてこのDQNネーム


長男:於莵(おと)
次男:不律(ふりつ) 
三男:類(るい)
長女:茉莉(まり)
次女:杏奴(あんぬ)

 というのにそうだったと気付かされました。昔から子どもに奇矯な名前(失礼)をつける人は確かにいたんだということです。


 私が思い出したのは、庭園家(作庭家)の重森三玲です。
 岡山県上房郡吉川村小茂田(今の吉備中央町)に明治29年(1896年)に生まれた彼は、もともとの名を計夫(かずお)と言いました。お父さんは重森元治郎でお母さんは重森つる。
 

 大正12年(1923年)に東京で生まれた長男に、彼は完途(かんと)と名付けます。そしてさらに大正14年には自分の名前を三玲(みれー)に改名。翌年生まれた男の子にも弘淹(こーえん)と名付けています。
 三玲さんが自分の名前をフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーにちなんで改名したところから考えても、長男の完途さん(作庭家)はドイツの哲学者イマニュエル・カントから、次男の弘淹さんは新カント派の哲学者ヘルマン・コーエンから来ているのではないかと思われます。(コーエンはナトルプと共にマールブルク学派を形成した方で、1921年(大正10年)には藤岡蔵六訳の『純粋認識の論理学』が日本で出版されています。)


 そしてさらに生まれてくる子どもたちに、三男は埶氐(げーて)、長女は由郷(ゆーご)、四男は貝崙(ばいろん)と名付けていったといいますから、子どもたちにしてみればたまったものじゃありませんね。


※先日NHK重森三玲の特番があり(進行は宇崎竜童)、そこにこのげーてさんが出てきてお父様を語られていたんです。これはひどい、とちょっと思って調べてみたんです。