原武史『滝山コミューン一九七四』

 前評判の時からちょっと触れていたこの本を、夕べ読み始めて昼過ぎに読み終えました。今とは全く異なった時代感覚の中をふらふらした気分です。またある程度の懐かしさと同時に、集団と個人の問題の重苦しさにあてられ続けた感もあります…。


 話を、あさっての方向から始めてみたいと思います。つい最近話題になっていたあるブロガーの問題に関してそれなりに興味を持って追っていた私は、nitinoさん@うどんこ天気の「愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ」にたどり着きました。そこでまず掲げられた図に思ったのは、「何でここに全体主義?」という疑問でした。
 nitinoさんが描かれたのは、あるブロガーの行為についてそれぞれどう関わるか・どう思うかのスタンスを、政治的立場チェックの表のように二つの軸を使って座標平面上でわかりやすく見せようとした図です。縦軸が「罵倒表現への判断軸」となっていて、上方が非寛容(NO派)下方が寛容(OK派)にとられています。そして横軸は「個が大事」という価値観が左方、「場が大事」という価値観が右方にとられた軸となっているのですが、この横軸で

 "個"が大事  ←―――→ "場"が大事
 (個人主義)       (全体主義

 というように、「場」を重視する価値観側に「全体主義」という言葉が並置されていたんですね。この記事には多くのブクマコメントが付けられているのですが、ここに誰も触れていないのはとても不思議です。なんていうネガティブ・ワード!
 記事を読んだりコメントを読んだりして、nitinoさんがご自分を最も(この図で)左と認識していることを伺い、それで無意識に出たのかなと思いましたが、こういう価値の軸で「全体主義」などと書かれた場合「自分がそちら側にいる」というのは今の日本で教育を受けた者にとっては非常に選び難いものだと思います。全体主義に関してはネガティブな評価しか見聞きしてこなかったのではないでしょうか。せめてここは「集団主義」とかにすべきではないかと…。*1


 「全体主義」の厳密な理解云々よりも、私たちが多く出会うのは「自分と対立する立場」の側への批難する言葉(あるいは罵倒?)としての「それは全体主義だ!」という文句ではないでしょうか? たとえば「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱を強要するのは全体主義(的)だという言葉は、卒業式シーズンになれば風物詩のように耳に入って参ります。その考えの脈絡はある程度理解もいたしますが、この『滝山コミューン一九七四』(講談社)で描かれているのは、「日の丸君が代を敢然と拒否する(意識の高い)小学生たち・指導者たちによって作られた、ある種全体主義的状況」とでもいうものなのです。


 この本に描かれるのは、著者の原武史氏が小四の1972年頃から小六の1974年頃までに体験した「七小」(東久留米市立第七小学校)での出来事です。その時の七小では「文部省の指導を仰ぐべき公立学校でありながら、国家権力を排除して児童を主人公とする民主的な学園を作ろうとする試み(p.209)」がなされていて、これを称して原氏は「滝山コミューン」とおっしゃるのです。そして、そこでの原少年がこの「集団主義」をどう息苦しく感じ、どれほど反感を持ったかなどが本書には記されているのです。


 ただし、この本はたとえば日教組批判のプロパガンダ本といったものではありません*2。原氏自身、そう読まれるのは心外であろうというのは読めばわかります。原氏はできるだけ当時の関係者と連絡を取り、すべてを「自分の物語」に取り込んでしまわないよう気を遣われております。
 この本で描かれるのはむしろ政治的立場の左右に拘わらず、「集団」と「個々人」との葛藤という「近代の問題」なのではないかと私は理解しました。ただそれが、この日本の70年代前半という時に、新興団地の新住民によって作られる場で、新設校とも言える小学校に指導熱心な日教組・全生研の考え方を持つ若い教師がいたということによって、この形で現れざるを得なかったというそのこと。そしてそれが四十歳を越えた今になっても著者の心の傷となって残っているというそのこと。本書が書かれなければならなかったのは、まさにこの二つの「偶然」によるものだと読者はきちんと受け取れることでしょう。


 今となっては「馴染みのない他者」のようになってしまったこの時代。総理大臣は佐藤栄作から田中角栄、そして三木武夫へと移り、選挙は保革伯仲の状況を作り出し、新宿に次々に高層ビルが建てられていき、郊外は開発され「巨大団地」という新たな生活を始める人々が急増していったこの時代。

 …一方では、六〇年安保闘争以来、いったん途絶えていた「政治の季節」が、ベトナム反戦運動全共闘運動を機に再び訪れ、七二年の連合赤軍事件あたりまで続く。他方では、政治に関心をもたない「私生活主義」が、郊外に団地が次々と建設される高度成長期に少しずつ強まり、七二年以降になると完全に定着する。「政治の季節」と「私生活主義」のせめぎ合いは、後者の勝利に終わるというのである。
 断じてそうではあるまい。

 というように、著者は典型的な「戦後史観」に異議を唱えます。単に「私生活主義」と呼ばれるような団地住民の意識について、まだまだ検証は一向に進んでいないのだと。そして本書はその部分を埋め、記憶から無くなりかけたその時代を描く試みでもあるのだと強く感じます。


 六二年生れの著者は私より年上ですが、この時代を小学生・中学生としてほぼ重なって過ごした私にとって、氏が挙げられる些細な事柄はとても懐かしく思われるものも多いです。たとえば「江戸川乱歩のこども向け推理小説のシリーズ」、たとえば「NHKで放映されていた少年ドラマシリーズ」、たとえば「わんぱくマーチ」(♪いざゆけやなかまたち めざすはあのおか あしおとをひびかせて かたをくんでいこう)…。
 実のところ本書で原少年が学校での孤立を感じ、周囲は皆「集団主義」になびいていくところなど、私はその少年ドラマシリーズにあった『未来からの挑戦』(眉村卓原作、原題『ねらわれた学園』。後に映画化もされましたね)の雰囲気をずっと思い出していました。かなり後ろの方で、著者もその類似に触れています。


 基本的にこの「滝山コミューン」ができていったのは、日教組から派生した全国生活指導研究協議会(全生研)という民間教育研究団体が唱えた「学級集団づくり」というものに由来します。彼らは公教育に対する共通した危機意識を持っていました。

 戦後の公教育の基本精神は、人間の尊厳と個性の尊重、平和と民主主義の確立を基本原理とする憲法教育基本法の精神です。しかし、この精神は、安保・勤評体制を推進する内外の反動的諸勢力によって骨抜きにされ、ゆがめられて、公教育の国民的性格と役割とは重大な危機にさらされるにいたりました
 (「全生研のあゆみ」より。本書p.48に引用)

 あまりに現在の「護憲派リベラル」あたりの主張と似ているのにびっくりですが、彼らはソ連の教育学者マカレンコの影響による集団主義教育に突き進んでしまっていたのでした。「大衆社会状況の中で子どもたちの中にうまれてきている個人主義自由主義意識を集団主義的なものへ変革する」というのがその目的にあり、さすがに社会主義がまだ輝きを失っていない時代だったのだなと感慨をおぼえてしまいます。


 で、この考えに共鳴する一人の教師によって七小の一つのクラスが変えられ(「実社会における政治的システムである民主集中制を子ども集団の民主化の原則に持ち込む」p.273)、それが全校に波及していきます。ちょうど父母と教員たちの一体感や協力がうまく行っていたのも重なり、また放任的な新校長のやり方ともあいまって、ぐんぐん変わっていってしまったのでした。(これが新興団地のことであるということも著者は重視します)
 そしてそれに対して、

 何が「民主主義」だ、「民主的集団」だ。子供は子供らしくすればいいではないか―。(p.151)

 と思っていた著者は、その「指導的クラス」による学校乗っ取り(各種委員長の独占。学校行事の仕切り権の獲得)などに反発しますが、ある日、(子どもたちだけの)代表委員会に呼びだされ、

 …はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。
 六八年から六九年にかけての大学闘争では、全共闘の学生が大衆団交やつるし上げを通して、大学のトップや教授に自己批判を強要する「追及集会」がしばしば開かれたが、驚くべきことに、全生研でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。
 次に引用するのは、その説明である。

 集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじるものとして、ある対象に爆発的に集団が怒りを感ずるときがある。そういうとき、集団が自己の利益や名誉を守ろうとして対象に怒りをぶつけ、相手の自己批判、自己変革を要求して対象に激しく迫ること―これをわたしたちは「追求」と呼んで、実践的には非常に重視しているのである。

(本書 p.254)

 ということになってしまうのでした…。こういう周囲になってしまったということに、著者がトラウマを感じてしまっているのも無理からぬことに思われます。


 繰り返しますが、著者は決して「旧悪を糾弾」するようなことは目指していません。むしろ当時自分の対極にいた人たちにも声をかけ、あれは何だったのか誠実に辿ろうとしているように感じました。
 本当に「個」と「集団」の問題は難しいものであり続けるなあというのが感想です。決してそれは政治的スタンスがどうこうというものにのみ関わるものではないというのは、私もはっきり思っていること。たまたま導入でnitinoさんの記事を引用して意見させていただきましたが、ああいう問題も関連のものとして、実は重く受け止めて考えていかなければいけないのではと感じているのでした…。

*1:その次に思ったのは、個を優先するか場を優先するかの判断も「主義・主張」のように一貫していなければならないというものではなく、そういうのは常にケースバイケースであろうということでしたが(罵倒に関する見方もそうかも)、これについてはnitinoさんがid:zoniaさんのトラックバックを受けて追記されておりますので、大体理解したつもりでおります

*2:確かにこの「滝山コミューン」の背後には、日教組やそこから生まれた全生研の方針・考え方が確固としてあるのですが。