増田にちょっと反応

■仕事に精神的に悩んでる人へのコメントに失敗した
・そんな目にあって大変でしたね


・貴方は悪くないですよ!その相手はひどいですね


・環境を変えたほうがいいですよ


みたいな同情をひたすら書けばよかったんだなと自分以外のコメントを見てブログ主に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。自分はそのブログに、その場に居続けるつもりならこうした方がいいんじゃないかみたいな話を書いてしまった。どうしてみんなと一緒に同情できなかったんだろう。(後略)

 これでふと思い出したのですが、以前にどこかで次のようなことを読んだことがあります

 女性からある問題について相談を受けた理系の男性がいる。彼はそのトラブルについて、根っこの問題を考えたり解決策を提示したりする。ここが問題だとかこうやってみたらいいんじゃないかとか。でもたぶんそれは全然女性に受けない。
 実は女性が求めているのはそういうことではなく、黙って話を聞いてくれたり「ひどいね」と共感してもらったりすることなので、彼のしていることは逆効果。
 ますますもてなくなる…

 さすがにこれは個別の人のことを考えない極論かと思いました。ちょっと括りが乱暴ですし、そう受け取らない女性だっていっぱいいるのですから。
(もしかしたらこのエピソード、酒井冬雪氏の「理系のための恋愛論」のどっかにあったのではと思いましたが、あまりにバックナンバーが多いので…。確認は取っていません)


 ただコミュニティーごとの「悩み」の扱われ方として、主に共感を求められる場としてあるところと、解決への思考が求められている場としてあるところぐらいの傾向性の差はあるように思えました。前者が女性コミュニティーに多く、後者が男性の人間関係に多い…ぐらいは言えるかも。
 そういう感じで記憶していたのでしたが、最初の匿名の方はそういう場の選択を誤ったのではないかと気になられたのでしょう。でも気になさることはありません。そのぐらいの行き違いの中で皆暮らしていますし、生きていけているのは確かです。それに、ネット上のちょっとした「場」は、職場とか学校などよりもよほど風通しが良いので、いくらでもやり直しはききますし。
 いずれにせよこの場合は考えすぎかと私は思いました。もし考えすぎでなかったら、そちらの方が怖いです。