永遠

uumin32007-06-29

 永遠というものは、誰も経験したことがないものです。それにも拘わらず人が永遠を口にし、それを知っているように振る舞うのは、今日を考え明日を確信するところから直観されるものだからだと思います。今日があり明日がある、だから明日になればその明日も必ずあるはず…
 まだ子供のうちは、明日が来ることになんの疑問も持っていなかったはず。それは幸せなことだったと感じますし、たぶん気づかないまま一番永遠に近いところにいたときだったかもしれません。思春期の自意識は、私に漠然とした死の恐怖を考えさせました。いつか死ぬかもしれないんだということが怖くて、ふとんに入ってから狂わんばかりに怖かった夜があったことも憶えています。
 人の命にも終わりというものがあって、それは自分も例外ではないということをなんとなく受け容れてからはその怖さは忘れたようにしていましたが、別にそれは深く悟ったわけでもなく、ただ表面から消えているだけなのでしょう。死に直面したり、自他を問わずそういうことを考えざるを得なくなったりするたびに、その逆の永遠というものを何となく考えるようになっています。


 たとえば仕事で「不滅」につながったり、子供をつくって生命の継承を感じてみたり、いろいろ永遠を感じるよすがはあるのだと思いますが、世の中に儚くないものは何もないと言われればそうなのかもしれないと思ったりもします。でもそれが誤った認識だとしても、どこかで永遠に対する確信の記憶だけは持っていますから、それを無下に「ない」と突き放すことはないのかもしれません。


 永遠というのが「願い」であるように描かれた作品に出会うとき、私は異常に涙もろくなるようです。弱っちいことです。
 でもその涙は誰かとつながっているような気持も与えてくれるものだと感じられます。


 今日は亡くなったわんこの誕生日です。そういう数え方にどんな意味があるかわかりませんが、昨日はずっとそれが頭にあったように思います。