生物と無生物のあいだ

 評判が良かった、福岡伸一生物と無生物のあいだ講談社現代新書1891を読んでみました。なかなかにイメージとして喚起するものの多い、興味深い読書ができたと思います。
 なかでも最も私の印象に残ったのは、生物の身体を構成する物質が絶え間なく作られ、壊され、再び作られていくという動的平衡のイメージでした。

 エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。
 つまりエントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。

 人間の集団に一個の有機体イメージをあてはめるというのは古くから為されていることで、批判も多いことではあります(cf.主体思想)。ただここの部分が喚起するものについては、私はその誘惑に思わず負けてしまいます。
 あるグループが維持されるときにも「流れ」というものが必須なのではないかと直観させるものがここにはあるのではないでしょうか。それは永遠不変のシステムで、同じメンバーを固定するといったやり方では、それなりの長さを存続させることすら難しいもの。「同じ場所にいたかったら全力で走る」ということが必須なのではないかと頭に浮かんできました。
 ネット上の集団でも、また同じ議論か…ではなく、次々に新しい参加者がいるのだったら同じ議論を何度でも繰り返すこと。暗黙の共有知に頼るのではなく、知識は回転させ続けること。空気の澱んだところには、ゆるやかな腐敗があることに気づくこと。そういったところが直覚されます。
 ここで頭に浮かんだものが絶対だとは思いませんが、こういう具合に啓発してくれる読書があるからこそ本読みの快楽というものがあるのだと思いますし、私にとってはこの本がそういう体験をさせてくれる一冊であったということはいえます。
 うだるような暑さ、寝苦しい夜が続きますが、この本は一服の涼を与えてくれたという感じがします。

 生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である(p.164)

 秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない(p.166)

 生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである(p.167)